四国インフラ001 小鳴門橋・大鳴門橋

海の玄関口から陸の玄関口へ


吉野川水系の支流、撫養(むや)川の河口に位置する鳴門市の撫養港は、古くから四国の各国司の役所や所在地につながる官道の起点であり、畿内と四国を結ぶ交通の要所でもあった。江戸時代には徳島の特産品である阿波藍や撫養の斎田塩が積み出され、藍の肥料等が積み入れられていた。撫養港は廻船、人、物が集まる徳島の玄関<口>であり<心臓>でもあったと言えよう。しかし近世以降、海上交通が帆船から汽船(大型船)の時代を迎えると、徳島の<口>も<心臓>も汽船が乗り入れることができる徳島港や小松島港に移っていった。だが元々<循環器>としての高いポテンシャルを持っていた地である。時代が水運から陸運への近代化を迎えると、海峡を渡る<動脈>それも本州から四国への<大動脈>をつくるという一大プロジェクト「本州四国連絡橋」が動き出した。かつての海の玄関<口>は、陸の玄関<口>に生まれ変わろうとしていたのだ。

本州四国連絡橋、神戸-鳴門ルート実現のためには小鳴門海峡(四国と大毛島間)と渦潮で有名な鳴門海峡(大毛島から淡路島間)を渡る橋が必要であった。その第一歩として徳島県は単独で小鳴門海峡に吊橋を架けた。昭和36(1961)年に開通した小鳴門橋である。当時の日本最長160mの径間(支柱から支柱までの長さ)を有するこの橋は、主塔が3本の珍しい吊橋(一般的な吊橋の主塔は2本)。中央の主塔は海峡中の鍋島に設けられ、横から見るとAの字形に見えて印象的だ。

そして、その先の鳴門海峡を渡る大鳴門橋が昭和60(1985)年に完成。陸の玄関<口>は整った。県内最長であるこの吊橋は、渦潮へ及ぼす影響を抑えるために潮流が柱と柱の間を抜けることができる多柱基礎工法を用い、上部に6車線の自動車専用道路、下部に新幹線規格の鉄道を通せる橋桁を備えた2層の<大動脈>構造である。しかし後に完成する明石海峡大橋(淡路島と兵庫県明石市間)が、当初計画されていた道路鉄道併用橋から道路単独橋に変更となり、本州からの鉄道が鳴門海峡を渡ることは不可能となった。

<大動脈>2層化の夢は絶たれたが、平成12(2000)年、徳島県は鉄道が通る予定であった橋桁下部の一部に海上遊歩道「渦の道」を整備。この新しい<動脈>は、渦潮を間近に見下ろすことができる新たな観光名所として賑わいをみせている。(板東)

(赤色立体地図:アジア航測株式会社 国土地理院承認番号 平28情使第1285号 / 航空写真:Google Earth)

この物件へいく
 

参考文献

徳島県県土整備部道路局道路政策課:吉野川に架かる橋梁~橋の博物館《とくしま》~,徳島県,2013.
石川松太郎編著:ふるさとの人と知恵 徳島,農山漁村文化協会,1996.

種別 高速自動車道
所在地 徳島県鳴門市
構造形式 小鳴門橋:多径間吊橋 大鳴門橋:3径間2ヒンジ補剛トラス吊橋
規模 小鳴門橋:全長441.4m 最大径間160m 大鳴門橋:橋長1629m 中央径間876 m
竣工年 小鳴門橋:昭和36(1961)年 大鳴門橋:昭和60(1985)年 渦の道:平成12(2000)年
Back To Top