四国インフラ055 伊予鉄道

国内初の軽便鉄道


伊予鉄道は、四国初の鉄道として明治21(1888)年に開通し、現在も松山市民の足として暮らしを支えている。創業者であり、初代社長の元松山藩士小林信近は、鉄道事業以外にも、陶器製造業や松山米商会、第五十二国立銀行(現伊予銀行)などを創設し、地域経済の基盤をつくりあげ、実業家として活躍した。

伊予鉄道は国内初の軽便鉄道でもあり、この後、国内の各所で軽便鉄道が普及し、愛媛県内でも鉄道会社の創設が続いた。まず、明治26(1893)年に、伊佐庭如矢ら道後の経済人らが道後鉄道を創設し、明治28(1895)年には、道後から一番町(松山市の中心部)、城北経由で三津口(現在の古町駅)に達する約5kmを開通した。また翌年には藤原(松山市)~郡中間の南予鉄道が開通したが、資金難となり、道後鉄道と南予鉄道は共に伊予鉄道に買収された。その後も、松山電気軌道という会社が設立され、江の口(三津浜内港)~道後間を創業し、伊予鉄道と競合していたが、大正10(1921)年に経営難から伊予鉄道と合併した。このように、地域の経済人によって時代とともに形づくられた松山平野の<循環器>では、「マッチ箱のような汽車」ドイツ・ミュンヘン州クラウス社製の復元車両(通称:坊ちゃん列車)が松山市内を走り、松山のシンボルとなっている。(片岡)

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参考文献

伊予鉄道百年誌,伊予鉄道株式会社編,1987.

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