四国インフラ064 西瀬戸自動車道

瀬戸内海の夢の橋


海に橋を架けることは夢でしかなかった。

しかし、明治22(1889)年5月、その6年前にアメリカで世界初の本格的吊橋のブルックリン橋が完成したことを受け、香川県の県会議員大久保諶之丞は「塩飽諸島ヲ橋台トナシ、山陽鉄道ト架橋連絡セシメバ、常二波風ノ憂ヒナク、常二南来北行東奔西走瞬時ヲ費サズ、ソレ国利民福コレヨリ大ナルハナシ」と発言した。この発言をきっかけに、本州と四国を結び夢の橋の建設が次第に具体化してゆく。

昭和36(1961)年には、国と国鉄により、架橋技術の調査が土木学会に共同委託され、同41(1966)年、土木学会が「スパン1500m級の吊橋の上部建設は技術的に可能」と報告した。架橋ルートの候補は当初、神戸―鳴門、日比―高松、児島―坂出、尾道―今治に、国鉄の宇高連絡船の航路にあたる宇野―高松を加えた5ルートがあったが、各自治体の激しい誘致合戦の末、昭和44(1969)年、神戸―鳴門、児島―坂出、尾道―今治の3ルートに架橋することが決定した。当初3ルート同時着工に向けて実地調査と技術開発が進められたが、工事着工が間近になった頃、第一次オイルショックが勃発し、工事に要する建材費や人件費の高騰を勘案し、すべてのルートの架橋工事が延期された。各ルートで同時に行われるはずだった起工式が中止となったのは、予定日だった昭和48(1973)年11月26日の6日前、11月20日のことだった。結局昭和50(1975)年に大三島橋の起工、昭和54(1979)年には大三島IC―伯方島ICが開通をむかえることになるが、亀老山から眺める凛とした橋梁群からはそんなドラマを伺い知れる由もなく、「夢の橋」は今日もまた本州と四国の<循環器>としての役割を淡々と果たしている。(白柳)

(赤色立体地図:アジア航測株式会社 国土地理院承認番号 平28情使第1285号 / 航空写真:Google Earth)

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参考文献

えひめ地域政策研究センター編集:しまなみ海道物語 瀬戸内の島々人と暮らしと長大橋,えひめ地域政策研究センター,2006.

種別 高速自動車道
管理者 本州四国連絡高速道路株式会社
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