四国インフラ078 坂出人工土地

現実空間に現れた2層の<皮下組織>


『人工土地は、土地としての機能を備えたコンクリートの版を階段状に上に積み上げた「二階建ての都市」というシステム提案に基づいた土地である。』(「メタボリズムの未来都市展-戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」より)

言葉で聞いただけでは、想像がつかない。どんなシステムなんだろう?どこにそんな場所があるんだろう?そう思いながら坂出駅を出てアーケード街の方へ向かうと、3階建ての商業施設が見えてくる。この商業施設に見える一帯が、坂出人工土地だ。塩田業で栄えた坂出市は1960年代初頭に工業都市へと転換した。この時、商店街や不良住宅の改善とともに市街地の整備が求めらていた。

坂出人工土地を設計したのは建築家の大高正人で、大高は前川國男設計事務所に入所後、独立した。坂出市に大高を紹介したのは、当時、日本建築学会人工土地部会で主査を務めていた浅田孝だという。坂出人工土地は、地上、すなわち自然の土地には公共的な都市施設を配置し、地上6~9mの高さには鉄筋コンクリートの人工土地を造成、その上部に高さや配置を変化させた群造形の理論を実践した。これにより、多様な都市空間を創出している。また、買収・換地のために人工地盤の高さ9m以上の上空を使用するため、地権者の権利を補償する「屋上権」という独自の土地権利変換方式を採用し、現在の再開発における権利変換の礎を築いたとも言われている。坂出人工土地には、3階建てに見える商業施設部分のうち、街路に面した部分には商店や坂出市市民ホールが、その他の部分には駐車場が、道路に面した交差点には広場がつくられている。

大高正人は、昭和35(1960)年に丹下健三の影響を受けた川添登や菊竹清訓らとともに、メタボリズム宣言を提案している。その理念は「建築や都市は閉じた機械であってはならず、新陳代謝を通じて成長する有機体であらねばならない」というものであった。この理念に基づいて多くの建築家が未来都市像を提案しており、人工土地もそのひとつであった。こうした時代の流れの中でつくられた「坂出人工土地」は、現実空間に現れた最初の事例であり、唯一実現した空間であったと言われており、大高と浅田は「坂出人工土地」で昭和42(1967)年日本都市計画学会石川賞を授賞している。都市の新陳代謝を促す2層の土地は、まさに<皮下組織>そのものではないだろうか。(尾野)

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参考文献

メタボリズムの未来都市展-戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン,森美術館,株式会社建築社,2011.
近藤裕陽,木下光:坂出人工土地における開発手法に関する研究,日本都市計画学会都市計画論文集 43(3),,pp.475-480,2008.
木下光:1960年代前後における浅田孝の環境開発序論~日本建築学会高層化研究委員会から坂出人工土地まで,都市計画学会誌 59(2),pp.50-53,2010.

種別 人工土地
所在地 香川県坂出市
構造形式 鉄筋コンクリート
規模 約1.2ha
竣工年 昭和49(1974)年
管理者 香川県
設計者 大高正人
備考 昭和42(1967)年 日本都市計画学会 石川賞授賞
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