四国インフラ080 瀬戸大橋

悲願の架け橋


「つまり、四国に行くってことか」
「申し訳ありませんが、ホシノさん、ナカタには地理のことはよくわかりません。橋を越えると四国なのですか?」
「そうだよ。このへんで大きな橋といえば、四国に行く橋のことだね。三本あって、ひとつは神戸から淡路島を越えて徳島までいく橋。もうひとつは倉敷の下のあたりから坂出にわたる橋だ。それから尾道と今治を結ぶやつもある。…(以下略)」(村上春樹)

この三本の橋は本州四国連絡橋(本四連絡橋)と呼ばれ、明治の頃から構想が立てられていた程に、四国に暮らす人々の悲願だった。このうち、最初に全線開通したのが、瀬戸大橋である。

瀬戸大橋は、下津井瀬戸大橋(940m)、北備讃瀬戸大橋(990m)、南備讃瀬戸大橋(1,100m)の3橋の吊橋などの総称である。上下2層構造の瀬戸大橋の下層には鉄道も走っており、本格的な鉄道を通した最初の吊橋とも言われている。列車荷重によって桁がたわんでも列車の走行に支障が出ないよう、桁端部には角折れ緩衝装置の設置や金属疲労に配慮した設計・施工が行われているのも、特徴のひとつである。

「夢の架け橋」とうたわれた構想から100年超、着工から15年かけて開通した瀬戸大橋には、数多くの人々が工事に関わった。井口泰子の『小説 瀬戸大橋』は、大鳴門橋の完成後から瀬戸大橋開通に至るまでの施工の様子やその周辺で起きていたかもしれない人々のドラマが、事実とフィクションを織り交ぜた小説として描かれている。篠原津田夫の『瀬戸大橋』は、建設中の瀬戸大橋とともに変化していく四国、渡し船や客船の船員達や島に暮らす人々が題材だ。また、土木学会には架橋途中の記録映像も残されている。橋を渡る人たちの顔は、「これから瀬戸大橋を渡るんだ」という期待で、心なしかわくわくして見える。橋を渡っていく今を生きる人たちの思いだけではなく、当時を生きてきた数多くの人々の思いや願いとともに架けられた悲願の橋・瀬戸大橋は、本州と四国をつなぐ大動脈のひとつとして、人々の暮らしを支えている。(尾野)

(赤色立体地図:アジア航測株式会社 国土地理院承認番号 平28情使第1285号 / 航空写真:Google Earth)

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参考文献

村上春樹:海辺のカフカ,新潮文庫,1995.
土木学会鋼構造委員会鋼構造進歩調査委員会:剛構造シリーズ⑧ 吊橋-技術とその変遷-,土木学会,1996.
田島二郎,奈良平俊彦:本四架橋を支える,土木学会誌 Vol.64 No.1,pp.72-79,1979.

種別 橋梁
所在地 香川県坂出市-岡山県倉敷市
構造形式 吊橋,斜張橋,トラス橋,トンネル
規模 下津井瀬戸大橋:吊橋(橋長1400m、中央支間長940m) 櫃石島橋:斜張橋(橋長790m、中央支間長420m) 岩黒島橋:斜張橋(橋長790m、中央支間長420m) 与島橋:トラス橋(橋長850m、最大支間長245m) 北備讃瀬戸大橋:吊橋(橋長1538m、中央支間長990m) 南備讃瀬戸大橋:吊橋(橋長1648m、中央支間長1100m)
竣工年 昭和63(1988)年
管理者 本州四国連絡高速道路株式会社
田島二郎氏橋梁写真集
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