浅草・上野間2.2kmの区間に、この東洋初の地下鉄は建設された。今なら乗車わずか5分の距離。このわずかな区間を足がかりにして、世界有数を誇る地下ネットワークが築かれていった。
「地下鉄道は余りに散文的である。最も近代的な散文の一例。なぜならば、上野浅草間を、最も短い直線で、最も短い時間で交通する ━ その交通機関の目的以外には、いかなる無駄な詩もないからである。・・・このやうな地下鉄道にこそ、未来の文明の多くの暗示を見出す。」(川端康成)
一つの目的を達成するために、ひたすら合理的・効率的手段を追及する態度。その結果、迷路のような細い路地に溢れていた情緒が、どこかへ消え去ってしまう。多様な表情をもつリアルな空間とは異なり、駅の相関関係だけを示すトポロジーの空間へ迷い込んだかのような地下鉄の世界は、確かに近代文明の一面をよくあらわしている。ただ歴史が示すように、近代という時代は、この新たな空間に別の詩を見出し、表現していった。
一方、地下鉄をつくる過程は、リアルな空間との闘いの連続だった。道路を掘り下げ、鉄骨と鉄筋コンクリートで頑強な框をつくる。通風孔をあけ、万全の防水工を施す。とにかく日本で初めて、人が長時間、快適に移動・活動できる地下空間をつくりあげるわけである。
そして、「帝都唯一の避暑境」(川端康成)、つまり当時の地下鉄の特徴でもあった夏涼しく冬暖かい、という地下空間のメリットも生かして、銀座線では、三越前の駅に象徴される、デパートのアクセスと一体化した駅がつくられた。こうして乗客を増やし、採算性を確保する努力が重ねられた。こうして人間味あふれる空間がネットワークと一体となり、新たな消費空間の夢が紡がれていったわけである。(北河)
川端康成全集第26巻、新潮社、1982.
種別 | 地下鉄 |
所在地 | 東京都台東区・千代田区・中央区・港区・渋谷区 |
構造形式 | 鉄構框・鉄筋コンクリート |
規模 | 延長14.3km |
竣工年 | 1927-39年 |
管理者 | 東京メトロ |
設計者 | 東京地下鐵道 東京高速鉄道 |
備考 | 土木学会選奨土木遺産(東京地下鐵道区間 浅草~新橋間) |