「スリバチ」と「ドボク」との邂逅
「スリバチ」と「ドボ博」の記念すべき第一回街歩きイベントが3月19日に開催された。そのイベントについて今回のイベント担当ドボ博学芸員K.U.がリポートします!!
“そもそも、なぜ「スリバチ」と「ドボク」なのか?”
スリバチのイベントにも参加し、仕事でも街づくり等を通じて土木に触れてきた私は、以前から薄々とこの2つの関係の親和性については気づいていたが、昨年にドボ博の企画で行った座談会(→リンク)でドボ博メンバーとともにスリバチの皆川会長に参加していただいた時に、その気づきは確信へと変わったと言っても良い。「地形」も「インフラ」も、やはり都市の骨格を決定する決定的要素=基盤なのだ。
そんなこともあり、これは是非「スリバチ」と「ドボ博」の共同街歩きイベントをやるしかない!と思い、皆川会長に打診したところ快諾をいただき、今回実現した、というわけである。
今回のテーマ「江戸時代の2つのダムをめぐる」
皆川会長にお願いしたのは、ドボ博の初年度の企画「東京インフラ解剖」に絡めていただければ、どのようなルートでも良い、という条件で設定したもの。
そこで提案されたのが今回のテーマ「江戸時代の2つのダムをめぐる」
「江戸時代」!「ダム」!!
「ドボク」と「スリバチ」に通ずる素晴らしいテーマです。近代上下水道が整備される前の「江戸時代」における土木工事「ダム」。「水は低きに流れる」ことでしか上下水を処理できなかった時代では地形がダイレクトに反映され、そして水を流し貯める=ダムを造るためには土木工事が欠かせない。
スリバチ的視点でも、3方を囲まれたスリバチ地形(二級スリバチ)が出口を塞がれてダムになることにより「一級スリバチ」に昇格するのだ!
というわけで、すぐにこのテーマで大賛成しました。実際に設定されたルートがこちら
A:和田倉門
B:大手門
C:竹橋ジャンクション
D:千鳥ヶ淵ダム
E:千鳥ヶ淵(人工湖)
F:江戸城内濠・玉川上水跡
G:樹木谷(水源探索)
H:四谷見附
I:荒木町ダム(松平摂津守上屋敷跡)
J:曙橋
江戸時代のダムと玉川上水
前置きが長いが、イベントのレポートに入る前に、念のため江戸時代の状況について、ちょっと補足。
今回歩いた2つのダム「千鳥ヶ淵ダム」「荒木町ダム」は、それぞれ成り立ちの異なるものであるが、まずは江戸城ひいては江戸の街の骨格に関わる「千鳥ヶ淵」から。
徳川家康が江戸に入る前に、すでに千鳥ヶ淵は存在しており、本丸西側の乾堀・蓮池濠・蛤濠を抜け日比谷入江(東京湾)まで流れ込んでいた(局沢川)。家康は入城後の最初期(1606年)の工事として、江戸城内の飲料水の確保のために乾堀への川を堰き止め、また北側にある田安門の土橋、南側の半蔵門の土橋により水を堰き止めダムとして整備した。なお田安門を挟んで隣接する「牛ヶ淵」も同時期に飲料用ダムとして整備されたもので、河岸段丘からの湧水を溜めたものだ。
もう一つのダム「荒木町ダム」は、かつての松平摂津守上屋敷のあった場所。紅葉川へ流れ込む支流が堰き止められ、大名庭園の池として整備された。大名庭園には、高い場所を通る街道筋から下る斜面を利用して作られたものが多いが、ここもその一つ。千鳥ヶ淵と比べると、規模も目的も異なるのがわかる。
最後に、影の主役「玉川上水」について。今回のルートでは多くの部分で玉川上水が絡んでいる。1654年に江戸市中への飲料水のための上水として整備された玉川上水は、羽取取水堰(→リンク)から四谷大木戸までは開渠であるが、その先は暗渠(石枡と木樋で構成)となり甲州街道(新宿通り、麹町大通り)の下を通って江戸城の中へ達した。途中一箇所だけ地表に顔を出すところが四谷見附であり、そこでは橋と並行して掛樋(下図)により江戸城の外郭へと水が運ばれた。
街歩きレポート:2017年3月19日。晴天。最高気温19℃。
さあ、これらの基本をふまえた上で、今回のルートを歩いてみよう!!
集合場所の「和田倉噴水公園」は江戸時代の和田倉門のあった場所で、現在も枡形の石垣が残っている。大断面集成材+DPG構法を使ったモダン建築との対比も美しい。東京駅と皇居を結ぶ行幸通り(東京インフラ解剖002_行幸通り)に面した開放感のある公園。
さぁ、ここから「ドボスリ(ドボ博×スリバチ)」の記念すべきスタートです!!
「このあたりは、かつて日比谷入江の海で家康入城後に埋め立てられた」等の解説をする皆川会長。
それにしても、(雨男の)皆川会長とは思えない快晴の滑り出し。奇跡のスタートです。
集合場所を和田倉門にしたもう一つの理由は、やはりこの桜田巽櫓を見たいから。現存する3つの櫓の中で一番綺麗に見えるものだと思う。切妻型張出のところが石落としになって敵を撃退する。
最初のポイントは「三の丸大手門」。江戸城の表玄関。典型的な枡形が残っており、橋を渡り高麗門をくぐり右折すると櫓門がそびえている。1620年に築造され、現在のものは1963年に復元したもので、完全な枡形が残る数少ないもの。
三巨頭が行く。スリバチ×古道×ドボ博の雁行配置です。
平川門をバックにパレスサイドビルについて熱弁を振るう皆川会長。
1966年に建てられたとは思えないモダンな建物です。本当に。
ミッション「鳩を探せ」@パレスサイドビル
次の見どころポイント「竹橋ジャンクション」
首都高マニアの八馬先生の熱弁が止まらない。
さらに北河(ドボ博)館長、大村カメラマンも熱弁で畳みかける。
そして見どころはやはり、この石垣と首都高のスレスレ感!?
しかし石垣の後ろから見ると橋脚はこんな感じになっていた。
みんなが気になったアレ
かつての川を堰き止めた堤の上から千鳥ヶ淵を眺める人々。
首都高の工事の際にダムに穴を開けることで、川を埋めた痕跡が発見されたことに因縁を感じる。
ダムの堰堤を抜けると千鳥ヶ淵の上を首都高が走り抜けていく。竹橋ジャンクションから千鳥ヶ淵の土手(北の丸トンネル)を抜けると眼前に千鳥ヶ淵が広がるが、水面上約1mスレスレを走りながら、まるで水の中へ(千代田トンネル)潜り込んでいく体験は唯一無二のものである。これは桜の名所の景観を崩さないために、道路を低く抑えたためである。
甲州街道について語る古道マスターでシータ。古道ルートについて持論を熱弁。
樹木谷へと下る坂。樹木谷を流れていた川(局沢川)は千鳥ヶ淵へ流れ込む川の一つであった。
樹木谷の水源!?
四谷見附に関する説明板を興味津々に読む。そしてその向こうには土木学会が(遥拝)。
荒木町スリバチの入口にある「鈴新」の前にて。カツのおいしいこの店は、三業地博物館でもある。
このコンクリート製街灯、打ち継ぎを見ると3枚の型枠を使ってるよね?と語る人々。
「山用コンクート工業株式会社製造」と書かれている。
荒木町スリバチの底にある「津の守稲荷神社」の策の池の前でパチリ。
桜開花宣言の前ながら、桜が咲いてます。
荒木町ダムの堰堤を昇る。
防衛庁の通信用鉄塔がそびえる。
そして街歩きの終点となる曙橋。
昔の紅葉川(現:靖国通り)に掛かる鉄骨のΠ(パイ)型ラーメン橋です。上の道路面から見るとシンプルな橋ですが、「橋は下から眺めるべし!」。構想から実際に施工されるまで30年近くかかった数奇な運命の橋です。
そして最後に皆川会長と北河館長から挨拶。
参加者の皆さんに予想以上に楽しんでいただけたようで大成功でした。
また第二弾も企画予定ですので、どうぞご期待ください!!
今回の街歩きルート情報
■今回のルートに関連する東京インフラ解剖リスト
東京インフラ001 皇居
東京インフラ002 行幸通り
東京インフラ088 内濠
東京インフラ084 外濠
東京インフラ049 玉川上水
東京インフラ051 羽村取水堰
■ルート・マップ
Google Map