ガラスびんの
明治末に、大垣市においては大規模な紡績工事を誘致することとなったが、その進出の条件として必要な電力をまかなうため、水力発電所を建設する必要があり、1916(大正5)年に、揖斐川支流の広瀬川に西横山発電所が建設され、電力供給が開始された。この電力を利用して、大垣市には、紡績業のほか、化学工業やガラス瓶などを生産する工場が立地することとなった。
大垣におけるガラス瓶の生産企業の代表格が、日本耐酸壜工業株式会社である。1930(昭和5)年、耐酸ガラスびんを製造する目的で、岐阜県大垣市木戸町に「合資会社大垣製壜所」が設立され、さらに1943(昭和18)年、現在の社名となって大垣市に本社と工場が設立されたのである。ここでは、食料・調味料びんから酒類びん、飲料・ドリンクびん、薬品びんまで幅広いジャンルのびんが製造・販売されてきた。特に、リポビタンD等に用いられるドリンク用小瓶の製造が得意分野であり、10mlから120mlまでの容量の、実に60種類以上のドリンク用びんを製造しているが、この分野でのシェアは約3割以上とされる。
日本耐酸壜工業株式会社で製造されるガラスびんは、1945(昭和20)年頃には、自家用トラックにより輸送されていた。1962(昭和37)年頃からはフィリピンやインドネシアに飲料水運搬容器として輸出されるようになり、高品質と安定性が評価され、現在ではアメリカをはじめ、アジア諸国、中近東の海外でも多く使用されている。現在、輸出にあたっては、大垣からトラックにより名古屋環状2号線や県道等を通って陸送され、主に名古屋港からコンテナにより多くの国々に輸送されているのである。
(写真提供: 日本耐酸壜工業株式会社)