電力の
ものがたり

これらの電力は火力・水力・原子力といった発電所で発電されたのち、送電線及び変電所を経て、各事業体や家庭へと届けられている。中部電力管内には19の水力発電所、原子力発電所として浜岡原子力発電所の他、風力発電所や太陽光発電所があり,株式会社JERAが運用する火力発電所が9か所存在する。これらの発電所で発電された電力は12,200㎞の送電線、937か所の変電所(中部電力管内)などを通して運ばれている。

中部域内で最初の電力発電所は、明治22(1889)年、名古屋電燈によって名古屋市南長島町・入江町(現・中区栄二丁目)に設置された火力発電所であり、点灯数は400戸あまりの小規模なものであった。時を同じくして、明治24(1891)年にフランクフルト博覧会で遠距離送電技術が登場し、日本へも明治32(1899)年に導入され、時代は山間地の豊富な水資源を利用した水力発電の時代へと突入する。

明治44(1911)年の名古屋電力(株)による八百津発電所(出力7500kW)を皮切りに、木曽川流域を中心に続々と水力発電所が建設されていく。当時の水力発電の形式は水路式が主体であったが、大正13(1924)年には大同電力株式会社によって大井ダム(同42,900kW(当時))が建設され、その後はダム式発電が主体となっていく。 日本が高度成長期に突入すると、安価な原油輸入や大幅な電力需要の増大を背景に時代は「水主火従」から「火主水従」となり、三重火力発電所をはじめ沿岸域に多くの火力発電所が建設され、平成元(1989)年には当時としては世界最大の発電量を誇る川越火力発電所(総出力480.2万kW)が建設された。

さらに昭和30年代には新技術として原子力が登場し、昭和51(1976)年には現在でも中部電力唯一の原子力発電所である浜岡原子力発電所が完成した。

電力に関わるインフラ