有松絞りの
有松絞りは江戸時代の初め、東海道の有松宿において生産される絞り染めのことである。絞り開祖の竹田庄九郎らによって誕生し、有松宿における女性の副業や周辺の村々の収入源として長く生産されてきた。この材料に使われる三河木綿も、三河で綿作がはじまった当初からものである。
原料生産は幡豆や碧海、額田ではじまったとされる。これらの地域は、明治用水が開削されるまでは水利が悪く、ため池による農業生産が中心であった。そのため、乾燥に強い綿の生産は好まれ、畿内に次ぐ綿の一大生産地となった。これらの地域で生産された綿花は、江戸時代には近隣農家の手工業として、明治以降はガラ紡といわれる機械紡織によって製品化され、三河木綿として販売された。ガラ紡の多くは水車を回すために河川沿いに作られているが、この地域でその形跡がうかがえるのは、現在は青木川の一部のみとなっている。
なお三河木綿は、古くは東海道、知立(池鯉鮒)宿で開かれていた木綿市で売られ、鉄道が整備された後は鉄道輸送によって広く流通していた。有松絞りは、木綿が東海道を中心に流通したころから、主に旅客向けのお土産製品として生産が始まったものであり、この生産を中心として栄えた有松宿では現在も美しい町並みが残り、名古屋市の町並み保存指定第一号として知られている。
(写真: 有松絞商工協同組合提供 岸野賴子様寄贈品)