ノリタケ食器の
ものがたり

森村市左衛門が創業した森村組は、1876年よりニューヨークに設立した小売店を拠点に、輸出した日本の骨董品、陶磁器、うちわ、提灯などの雑貨品を販売し、徐々に売り上げを伸ばしていく中で、最も好評を博した陶磁器製品に目をつける。当初は瀬戸の生地に東京や京都などで絵付けを施したものであったが、生産の効率化を求め、1896年に全国から優れた絵師を集めて大規模な上絵付工場を建設した。

その立地は、素地(上絵付前の白い陶磁器)の仕入れの利便性から、近隣瀬戸や東濃から比較的アクセスの良い名古屋の東区橦木町であった。美濃焼や瀬戸物の素地を仕入れて、その上に優れた絵師が工場において上絵付けした。瀬戸電気鉄道が敷設されるまでは、工場から馬車の背に乗せて名古屋中心部を流れる堀川まで運ばれ、その後ハシケ船に乗せられ、名古屋港あるいは周辺の港まで運搬、その後海外へ輸出された。

やがて、森村組は商売のさらなる拡大のため洋食器を自社で製造して輸出することを決定し、明治37年「日本陶器合名会社」(現在の株式会社ノリタケカンパニーリミテド)を名古屋駅北の大字則武に創立、大型機械を導入して大規模生産に成功した。名古屋駅近くのノリタケの森では、往時の遺構を見ることができる。

ノリタケ食器に関わるインフラ