ドボ鉄055東京港と専用線

絵はがき:東京港平面図(東京都)


 東京は、荒川、隅田川、多摩川の河口に位置し、これらの河川によって運ばれてきた堆積物が遠浅の海岸を形成していたため、大型船舶を接岸することができず、横浜港が海の玄関口として機能していた。このため、関東大震災の際に、大量の救援物資を直接荷揚げすることができず、大きな社会問題となった。東京に港を建設する計画は、明治時代から議論されていたが、横浜港の拡充が優先されたため、日の出埠頭など一部の施設の完成にとどまっていた。
 こうした情勢の下で、東京港の整備が本格化し、1931(昭和6)年に東京港修築計画として東京市土木局によって事業が開始され、埋立地の造成や航路の浚渫(しゅんせつ)、横浜港とを結ぶ京浜運河の建設などが進められた。また既存の鉄道網と港を結ぶ水陸連絡輸送のため、貨物専用線が整備されることとなり、汐留駅から竹芝埠頭、日の出埠頭、芝浦埠頭へ延びる芝浦線や、新設される越中島駅(貨物駅)から豊洲埠頭や晴海埠頭へ延びる路線が計画された。
 「東京港平面図」と題した絵葉書には、造成される埋立地が色別で示され、これらを結ぶ予定の専用線が赤線で描かれた。絵葉書には「東京みなと祭」のスタンプが押されているが、これは1935(昭和10)年4月に行われたイベントで、さらに1940(昭和15)年には月島埠頭周辺を会場として万国博覧会も開催される予定であった(戦争の影響で中止)。
 東京港は1941(昭和16)年に開港して、ようやく貿易港としても機能するようになった。しかし、専用線のうち昭和戦前期に完成したのは、芝浦線と越中島線の一部区間のみで、越中島貨物駅や、豊洲埠頭・晴海埠頭への専用線が開通するのは、戦後になってからであった。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2019年2月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

なぜ東京には、大きな港ができなかったんですか?

A

本文にもありますが、東京は荒川や隅田川、多摩川の河口部に位置するため、遠浅の海岸で、大型の船舶が接岸できませんでした。東京港の代わりになったのは横浜港で、同じ関係は淀川のある大阪港と神戸港の関係にもあてはまります。大型の船舶が接岸するためにはある程度の水深が必要となるため、東京港や大阪港の築港工事では、浚渫を行うことによって水深を確保しました。(小野田滋)


”東京港(東京都)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

なんで東京や大阪ではなくて、少し離れた横浜や神戸に大きな港があるのか、ようやくわかりました。

師匠

Q&Aにもあるが、港は遠浅の砂浜にはできないから、大きな港は背面に山が迫っていて、海岸線の水深が深い地形が選ばれた。

小鉄

「天然の良港」ってやつですね。

師匠

函館や長崎などもそうだな。横浜や神戸には外国人居留地もあったから、港と中心都市を結ぶ手段として新橋~横浜、大阪~神戸の鉄道が最初に開業したということになる。

小鉄

ところで万国博覧会って戦前に開催する計画があったんですか?

師匠

あった。東京オリンピックと同じ年に開催する計画だった。

小鉄

鉄道も関係していたんですか?

師匠

オリンピック輸送と万博輸送を同じ年に行わなければならないから、大変だった。

小鉄

月島の埋立地には路面電車しか接続していなかったら、どうするつもりだったんですかね。

師匠

亀戸から小名木川へ伸びている貨物線の旅客化なども検討されたようだ。

小鉄

外国人も来日するから、準備も大変だったでしょうね。

師匠

オリンピックでは、外国人観光団の特別専用列車も考えていたようだ。

小鉄

弾丸列車の計画は関係なかったんですか?

師匠

同じ頃に計画が進められていたが、関係はない。東海道新幹線も、オリンピックの開催に合わせるように開業したから、よく関係があるように言われるが、新幹線は東京開催が決定する直前に着工していた。

小鉄

なんだ。東京オリンピックのために建設したわけじゃないんですね。

師匠

結果的に間に合わせたということになるな。

小鉄

「終わりよければ全てよし」ですね。

師匠

今回もシェイクスピアだな。

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