ドボ鉄102複々線化と相互乗り入れ

絵はがき:国鉄東京北鉄道管理局松戸電車区(千葉県)


 日本の都市鉄道の特徴のひとつに、地下鉄と他社線との相互直通運転がある。都市内の輸送を担う地下鉄と、郊外の輸送を担う路線が相互乗り入れを行うことにより、鉄道はより便利な交通機関として発展することとなった。
 相互直通運転は、日本ではごくあたり前に行われているので、あまりその役割が意識されていないが、それだけ日常生活に馴染んでいるということになるだろうか。海外では、ごく一部の例外を除いて、地下鉄と郊外の鉄道とは全く個別の都市鉄道として機能している。
 日本国有鉄道東京北鉄道管理局が発行した「常磐線複々線完成記念」と題した絵はがきには、当時の松戸電車区(現・JR東日本松戸車両センター)で撮影された1枚で、左側に営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線の6000系電車、右側に国鉄常磐線の103系電車が揃い、その中央に国鉄が地下鉄乗り入れ仕様で設計した103系1000番台電車が並んでいる。地上区間のみを走る右側の103系電車は正面に扉が無いが、地下線用の他の2編成は、当時の基準に基づいて正面に非常扉を設けているのが特徴である。
 常磐線は、同時に綾瀬~取手間の線路増設工事(複々線化)が行われ、1966(昭和41)年4月に国鉄東京第二工事局によって着工したが、プロジェクトは翌年末に新設されたばかりの国鉄東京第三工事局へ移管された。そして、1971(昭和46)年4月20日までに複々線の使用を順次開始し、同時に営団地下鉄千代田線との相互直通運転を開始した。
 千代田線はさらに、1978(昭和53)年3月に代々木上原~代々木公園間が開業して、小田急電鉄とも相互直通運転を開始し、都心をはさんで東京の東北部と南西部を直結した。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2014年4月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

地下鉄と民鉄や国鉄(JR)の相互直通運転はいつから始まったんですか?

A

日本で最初に地下鉄へ乗り入れたのは、1960(昭和35)年12月4日に開始された都営1号線(現在の浅草線)と京成電鉄との相互直通運転が最初です。その後、営団日比谷線と東武鉄道、営団日比谷線と東急電鉄、営団東西線と国鉄中央本線などと続き、営団千代田線と国鉄常磐線の直通運転は全国で11番目になります。(小野田滋)


”国鉄東京北鉄道管理局松戸電車区(千葉県)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

師匠、千代田線で走ってた電車が、インドネシアで走ってるって本当ですか?

師匠

日本製の車両は丈夫で長持ちだから、日本で廃車になってからも海外で活躍している。

小鉄

でもレールの幅が外国と違うから、そのままじゃ走れないんじゃないですか?

師匠

インドネシアの軌間は日本と同じ1067mmを使っている。それに1970年代から日本の技術協力で鉄道の整備が進められてきた。

小鉄

日本の車両を輸出する下地が整っていたってことですね。

師匠

特にインドネシアのジャカルタ首都圏の都市鉄道を運営するKRLコミューターライン(旧KRLジャボデタベック)の路線網には、山手線で使っていた205系電車や東急、東京メトロなどの車両を使っているから、ひと昔前の東京にタイムスリップしたような雰囲気だ。

小鉄

でも、色とか違ってるから、微妙ですね。

師匠

たしかに色は違っているが、番号はそのままだ。

小鉄

たとえば?

師匠

マンガライ駅の写真に写っている左側の「6107」という車号の編成はメトロの6107F編成の代々木上原方の先頭車で、絵葉書の左端に写っている「6007」の反対側の先頭車だ。

小鉄

師匠は細かいとこによく気がつきますね。

師匠

つまり、50年前に新車で登場した左端の6000系電車の編成は、今も遠く離れたインドネシアでお客さんを乗せて走り続けているということだ。

小鉄

御意見番としてひと言……

師匠

海外で活躍している日本製車両に「あっぱれ!」だ。

複々線完成ニュース工事概要
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