ドボ鉄103木材輸送の確保

絵はがき:旧北恵那鉄道・木曽川橋梁(岐阜県中津川市)


 江戸時代における木曽伐木(ばつぼく)の運搬は「木曽式伐木運材法」と呼ばれ、筏(いかだ)を組んで木曽川を下り、名古屋の熱田にあった白鳥貯木場に集積された。こうした運搬方法は大正時代まで続いたとされるが、鉄道網の整備などにより廃れることとなった。
 1924(大正13)年に堤高50m以上の重力式ダムとしては日本で2番目に完成した発電用の大井ダムは、木曽川の流路を遮断して設けられたため、川下りによる伐木の運搬ができなくなってしまった。このため、ダムを建設した大同電力では、その代替として中津川から付知川をさかのぼって付知に至る北恵那鉄道を敷設するすることとなった。初代社長には、大同電力社長で電力王と称された福沢桃介が就任し、中津川~下付知間の延長22.6kmの路線は1924(大正13)年に開業した。さらに1937(昭和12)年には下付知を起点とする付知森林鉄道が付知営林署によって開業し、付知川流域の伐材運搬は、鉄道輸送へと転換された。
 「苗木城蹟の遠景と恵那峡口」と題した絵葉書には、眼下に木曽川が流れ、それを跨ぐ北恵那鉄道の木曽川橋梁の姿がおさめられた。トラスは、明治時代にイギリスの技術者チャールズ・アセトン・ワットリー・ポーナルによって設計された支間200フィート(約61m)クラスのダブルワーレントラスで、どこの橋梁から転用したトラスかは不明である。
 北恵那鉄道は、1978(昭和53)年に惜しまれつつ廃止された。廃止後すでに40年以上を経てその痕跡は姿を消しつつあるが、木曽川を跨ぐトラス橋は今も現地に残存しており、再び鉄道が通ることを待ち望んでいるかのようである。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2021年9月号掲載)

 

この物件へいく


Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

森林鉄道と北恵那鉄道は違うのですか?

A

森林鉄道の厳密な定義はありませんが、伐採した木材を運搬するための専用鉄道の総称です。国鉄や私鉄ではなく、その多くは林野庁が管轄する営林署に所属していましたが、製紙会社や大学の演習林などにも森林鉄道がありました。業務用を前提としているので基本的に一般旅客の利用は考慮されていませんが、山間僻地の足として生活物資の輸送や通学などに利用された森林鉄道もありました。北恵那鉄道は地方鉄道法に基づく一般の私鉄会社でしたが、文中にもあるように終点の下付知からは付知森林鉄道がさらに山奥へと続いていました。(小野田滋)


”木曽川橋梁(岐阜県中津川市)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

師匠。右下の河原に船着場のような場所が写ってますが、材木と何か関係があるんですか?

師匠

どれどれ。

小鉄

ほら、屋形船やボートが写ってますよ。

師匠

ああ、これは恵那峡遊船の乗船場だ。

小鉄

「ゆうせん」って、あの超有名な海運会社ですか⁉

師匠

それは「日本郵船」だろ。恵那峡は「遊船」と書いて、遊覧船のことだ。

小鉄

今も遊覧船が恵那から発着してますけど……。

師匠

今は下流の恵那市の恵那峡さざなみ公園に乗船場があるが、昔は奥恵那峡として中津川市の玉蔵橋のあたりにも乗船場があった。

小鉄

それが絵葉書に写っている船着場ですね。

師匠

その後、乗船場は対岸に移ったようだが、対岸には1965(昭和40)年にラジウム温泉の名鉄中津川ホテルが完成した。

小鉄

昔は北恵那鉄道も走っていたから、観光客でにぎわったんでしょうね。

師匠

観光地の船下りや遊覧バスは、鉄道会社とタイアップしている所があるから、鉄道の観光開発という視点で調べてみる価値があるぞ。

小鉄

遊覧船とか遊覧バスとか、「遊ぶ」がキーワードですね。

師匠

遊園地もあちこちで鉄道が絡んでいるぞ。

小鉄

遊びのことなら任せてください。さっそく遊び……じゃなくて調査に行ってきます。

概要歴史論文(p.213)
Back To Top