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土木の歴史を知ることは、その土地を拓き、生きた人々の足跡を知ることに他ならない。それは、単なる建造物の歴史ではない。長い歴史の中で育まれた技術と思想が、いかにして国土の秩序形成や暮らしの豊かさに結びついたのか。それは、文明構築の歩みそのものである。 本展では、政治と国土、自然と開発、技術と人、事業の総合性と多様性などに着目しながら、わが国における土木と文明の歴史を紹介している。文明の成り立ちと、新たな文明を切り開く上で、土木が果たした役割について理解を深め、今後、われわれが次世代のために何ができるか考えるヒントにしていただければ幸いである。(北河)
国土には、人類の開発の歴史が刻み込まれている。わが国は、森林・原野の開拓、低湿地・水面の干拓・埋立などの土木工事が繰り返し行い、ついには一億を超える人々が共に近代的生活を営むことのできる国土の基盤をつくりあげてきた。ここでは、国土利用の変遷を示す図版を集め、日本の国土が人の手によって築かれた過程を巨視的に眺めてみたい(北河)。
2kmメッシュで国土利用の変遷を示す。北海道の原野が開拓され徐々に田畑に改変され、近代末期、群馬・長野、三重、山口、高知西部、熊本・大分などに広がっていた荒地が緑化されたことが見て取れる。また、山間部では、昭和中期以降に、かつての広葉樹林の多くが混交樹林に移り変わっている。昭和以降の都市化の傾向も顕著である(北河)。
近代になると、治山や建設資材獲得などを目的として、各地で造林活動が活発化する。特に、第二次世界大戦以降の育林地の拡大は顕著である。しかし、戦災復興も一段落し、重工業化の進展に伴い石油利用の比重が高まると、資源としての木材の重要性が低下し、森林利用も下火になる(北河)。
約500mメッシュで都市化の状況を表す。明治・大正期は、近世から受け継がれた小規模な都市が点在し、東京、大阪、京都でさえ100%市街地の範囲はわずかである。1985年頃になると、市街地は全国に拡大し、特に東京・大阪・名古屋周辺の三大都市圏が著しく発展していることが見て取れる(北河)。
わが国では、国土の1/4を占めるに過ぎない平野部に、国全体の約80%の人々が暮らしている。それは葦茂る広大な低湿地や、居住に適さない傾斜地を造成することで初めて可能となった。歴史を遡れば、天武天皇による藤原京建設の偉業をたたえた「大君は 神にしませば 水鳥の すだく水沼を 都となしつ」の歌に見るように、わが国では古代から湿地干拓による都市化が行われてきた。そして、近世の城下町建設を大きな契機として、平野部の造成が全国的に広がり、現代の国土構造の基礎が築かれた(北河)。
土木工事によって開発された人工地形(盛土地、切土地、埋立地、干拓地、平坦化地など)の範囲を赤色で示す。主な平野部において、かつての低湿地や沿岸部が干拓、埋立され、台地が盛土、切土によって造成されていることがわかる。なお、この地図は国土全体の人工地形を網羅的に示したものではないことを付記しておく(北河)。