川展 日本河川風景二十区分 ―国分かれて山河似る―

区分:⑤フォッサマグナ

区分:⑤フォッサマグナ

区分:⑤フォッサマグナ
特徴:下流部は広い平野を有し、上流部は火山の影響を受ける。
河川:信濃川、関川
(関東)荒川、多摩川、鶴見川、相模川、狩野川、富士川
※注 利根川の支川、吾妻川、烏神流川はフォッサマグナに含まれる。

(1)世界で唯一の地形フォッサマグナ

知花武佳 河川研究者

区分⑤はフォッサマグナです。まずフォッサマグナとは何かということですが、

出典:フォッサマグナミュージアムホームページ

今から2000万年前、日本列島はまだアジア大陸の一部でした。その後1700万年前ころになると、大陸の端に少し割れ目が入って、巨大な湖ができます。これが日本海の原型といわれています。さらに、観音開きモデルといわれてますけれども、1600万年前ころに日本列島がパキッと割れるんです。割れて真ん中が沈み、その沈んだ所がフォッサマグナといわれています。19世紀、どうやら日本列島というのは真ん中に割れ目がある、ということをナウマン象で有名なナウマンが最初に発見します。ただ、きちんとしたメカニズムが分かったのは、プレートテクトニクス理論以降なので1980年以降です。ナウマンも日本列島がこう動いたとは思っていないですね。ただ、ナウマンはフォッサマグナの周辺の特徴を見て、溝の両側の地質の特徴が似ていて、溝にどうやら新しいのが溜まっていると、そんな感じでフォッサマグナというのを考えたんですね。


知花武佳 河川研究者
このパキッて割れた西の端ははっきりしています。糸魚川・静岡構造線という、今でも東北日本と西南日本の境界でよく使う線ですね。

知花武佳 河川研究者
一方、東側の端はいまいちはっきりしていなくて、諸説あります。今の所一番よく用いられているのが,今回区分④と⑤の境界として用いている、柏崎-千葉構造線と、新発田-小出構造線で、この間が陥没したとするものです。ただし、これらの東にある区分④の地質は一部が糸魚川-静岡構造線以西の西南日本と同じです。なので、かつて大陸の端の一部であった日本列島の内、東北日本に該当する部分が東にずれながら反時計回りに、西南日本に該当する部分が時計回りに動き、日本海が形成されたのですが、この時の東北日本の西縁が棚倉構造線、西南日本の東縁が糸魚川-静岡構造線と考えることが多いです。ただし、これには異論もあり、反時計回りに動いた領域の西縁やフォッサマグナの東縁を利根川構造線とする説もあります。

知花武佳 河川研究者
最初ナウマンが東北日本と西南日本の間にフォッサマグナがあると言ったころは、フォッサマグナを幅が細いものと思っていたんです。というのは、関東山地の地層が古いので(前述の図参照)、ここで終わりだろうとどうやら判断したんでしょうか?けれどもよくよく調べると、関東山地の東側にも新しい年代の地層があったわけです。

知花武佳 河川研究者
山の形もフォッサマグナを境に西と東でだいぶ違います。

フォッサマグナに共通して言えることとすれば、割れ目というのが大きいんだと思うんですけれども、新潟平野と関東平野という沈降している場所を抱えているというのが1つ。あと火山が集中しているのがもう1つの特徴です。ここから西に行くと、火山が飛騨山脈くらいしかなくて、九州に行くまで大した火山がない。山陰の伯耆大山とかはありますが。伊豆半島にぐっと押し上げられた所なので山も険しい。ナウマンは、糸魚川静岡構造線の東側の緩やかな火山と西側の切り立った日本アルプスの差があまりに激しいことを指摘しています。ここでなんか違いがあるだろうと思ったのは無理もないかなと。


北河大次郎 ドボ博館長
ちなみにナウマンはどこを歩いてこれに気がついたんですか?

三橋さゆり 河川管理者
東大に来てから、学生を連れて日本中を巡検しているんですよね。JRで一番標高の高いところを走っている小海線沿いを調査していて、野辺山のあたりですかね。朝起きて南アルプスと関東山地、そしてその間に広がる広大な平地を見渡して、はっとひらめいたみたいな。ここに地溝帯があるんじゃないかって、確かそんな感じです。

知花武佳 河川研究者
フォッサマグナミュージアムは糸魚川市にありますけれどね。

北河大次郎 ドボ博館長
気がついた場所は長野県なんですね。

三橋さゆり 河川管理者
ナウマンは当時、すごく若いんですよ。まだ22、23歳くらい。

知花武佳 河川研究者
若かったはずですよ。

磯部祥行 編集者
よくひらめきましたね。世界にないものが、こう…。

三橋さゆり 河川管理者
でもなんか性格が悪かったって。

知花武佳 河川研究者
偉大な人って大体…。

三橋さゆり 河川管理者
学生から総スカンだったみたいです。

安藤達也 ドボ博事務局/建設コンサルタント
区分⑤のフォッサマグナの所に、伊豆半島は含めてしまってもOKでしょうか?伊豆半島は、フィリピン海プレートの火山島が徐々に移動してきて、100万前ころに本州に衝突してできた半島で、フォッサマグナとは成り立ちが違うような気もします。

知花武佳 河川研究者
うーん、それはなかなか難しいところで。ただ、火山が多いというのは必ずしもフォッサマグナと特徴が違わない。ただし、おっしゃるとおり陥没した地域というわけではないですね。またここも沼地なんですね。沼津などではかつて沼地がありました。全部一緒だというと無理があるけれども、無理に分けることもないのかなと思っています。

北河大次郎 ドボ博館長
フォッサマグナのような地形というのは、世界でここ以外にはあるんですか?

知花武佳 河川研究者

その点については、藤岡換太郎さんが著書『フォッサマグナ』で検討されています。フォッサマグナは日本のこの部分につけられた固有名詞なので、今はっきりといわれているフォッサマグナはこれしかないです。割れ目という意味では、九州地溝帯というのがありますけれども話が全然違って、沈んで盛り上がっているのではないので、フォッサマグナの候補ではあるけれども、火山やマグマがどう上がってきて、どう列島が裂けたのかを考えると全然違うということです。アフリカの地溝帯の方が、フォッサマグナに比較的近いかなというくらいです。プレートが三枚合わさる場所「プレートの三重点」でないと条件が揃わないので、その時点で世界に何十か所に絞られて、フォッサマグナは今の所はここしかないということです。 

(2)火山の集中するエリア

知花武佳 河川研究者
これが日本の火山の分布です。

日本の活火山の分布_出典:気象庁

火山の分布は区分⑤の境界線である糸魚川・静岡構造線でぴたっと止まって、一部、両白山地や伯耆大山のエリアに点在していますが、中部九州、南部九州に多く分布します。区分⑤フォッサマグナのエリアは火山の影響を多く受けています。ここでいつも紹介するのは、鎌原観音堂の話です。

鎌原観音堂_撮影:知花武佳

今、観音堂に続く階段は15段しかありませんが、昭和49年に地面を掘ってみたらこの赤い橋の下からあと12段出てきて、そこが火山の熱泥流層で埋まっていたことが分かりました。

その後さらに掘ってみると、今度は11段でてきました。おそらく図の通路の下の部分にも、11、12段あるから、鎌原観音堂の参道の階段はこれ全部足すと50段の階段があると推定されます。あるいは、100段くらい続いていたんじゃないかともいわれています。また階段の途中で、年老いた女性と若い女性のミイラが2体見つかったそうです。自分のお母さんを背負って、一生懸命階段を上って逃げてきたけれどここで火砕流に追いつかれたんじゃないかといわれています。天明の浅間山の大噴火での出来事です。この後天明の大飢饉に繋がっていくというので、利根川の歴史では結構大きな影響を残した噴火ですね。

(3)酸性の川を中和する中和工場

知花武佳 河川研究者
もう1つ火山に関連して取り上げたいのが、草津の大滝乃湯の横の中和工場です。

品木ダム水質管理所(中和工場)_撮影:大村拓也


北河大次郎 ドボ博館長
中和工場って何ですか?

知花武佳 河川研究者
酸性の川の流れに橋の下にある管から石灰を入れて中和しているんです。草津温泉のお湯が流れているので。

品木ダム水質管理所(中和工場)アップ_撮影:大村拓也


北河大次郎 ドボ博館長
ちょっと白濁しているところですか?

三橋さゆり 河川管理者
そうです。石灰を入れて中和したときに出る沈殿物が白く見えるんですよ。下流には、品木ダムという沈殿物を溜めるためのダムがあります。

品木ダム(上州湯ノ湖)_撮影:安藤達也

そして、沈殿物も取り除いて無害になった水が下流に流れて、吾妻川に入っています。

北河大次郎 ドボ博館長
これしないと魚が死んでしまう?

三橋さゆり 河川管理者
死にますし、構造物がぼろぼろになってしまいます。強酸性なので。

北河大次郎 ドボ博館長
近世以前は、普通に流れていたんですよね。

三橋さゆり 河川管理者
強酸性の水がそのまま流れていたので、下流の吾妻川は魚も棲まない死の川と呼ばれていました。

知花武佳 河川研究者
pH2.0とかですからね、元々

三橋さゆり 河川管理者
そうですね。中和工場っていうとなんかすごい施設をイメージしますが、見た目はちょろちょろ、え、これ?みたいな感じで。でも、これが下流の水利用や橋梁などの構造物を守るためにはとても大事なんです

(4)利根川沿いの地上絵!?

知花武佳 河川研究者
区分⑤フォッサマグナでは、沼地絡みの話が出てきます。この古写真は埼玉県の幸手市です。

地理院地図空中写真1961~1969

知花武佳 河川研究者
緩やかに湾曲している自然堤防が綺麗に見えます。このあたりの自然堤防の写真は、教科書にもよく使われているようですね。これは、利根川が一時流れていたルートですね。自然堤防の連続性もいいですし、3mくらい比高差があって高さがあるので、現地に行くとここだ!というのが分かるんですよね。なぜ高さがあるかというと、火山が砂を出すからです。火山噴出物、特に第四紀の火山の下流は、砂が多く出ます。そういったところの自然堤防は綺麗ですね。下流の松伏町も、堤防が不要な区間がいっぱいあります。自然堤防で充分川沿いが高いので、堤防をつくっていないという。ちなみに、松伏っていう名前は諸説ありますけれど「伏」っていうのが自然堤防を意味していて、松が入った自然堤防という説が有力ですね。

知花武佳 河川研究者

僕はこういう所へ行くと、大体地形図を見て水田マークが乾田か湿田か沼田かを見て、沼田の部分を探して、ほら自然堤防で塞がれているから沼田だ、というのが好きなんですよね。松伏の時は、上手く見つかりました。幸手でやろうと思った時は、地形図であんまり沼田マークが出せなかったんですが、その時この空中写真を眺めていて、あ、結構面白いものが写っているなということに気づいたんですね。これ、これです。このナスカの地上絵みたいなやつ。

地理院地図空中写真1961~1969拡大範囲


知花武佳 河川研究者
で、拡大するとこれですけれども。

地理院地図空中写真1961~1969拡大図

実はこれは「掘り上げ田」というものですね。沼地がズブズブ過ぎて、田んぼができないので、沼を櫛の歯状に掘って、周囲に掘った泥を盛り上げて、泥を盛り上げた所が田んぼになっています。

堀り上げ田_出典:埼玉県宮代町ホームページ

さっきの「くし」みたいなのが全部水路です。一段上がっている所が田んぼ。足漕ぎ式の水車で水をここに入れる。よくこれを見られるのが、利根川下流です。他にも、濃尾平野でもいっぱいありますね。


北河大次郎 ドボ博館長
こういうのが堀田(ほりた)ですね?

知花武佳 河川研究者
堀田(ほりた)、堀田(ほった)、堀田(ほりだ)、掘り上げ田…色々いいますけど。結構最近まで、最近というか写真に撮られるくらいまでは残っていたみたいです。

北河大次郎 ドボ博館長
この航空写真はいつころのものですか?

知花武佳 河川研究者
これが昭和36年です。

北河大次郎 ドボ博館長
じゃあ今はだいぶ宅地化が進んでいますね。

知花武佳 河川研究者
ここが現在どうなっているのか見に行ったんですけれど、流石にこのズブズブの一番真ん中は養魚場でした。しかし周りはもう宅地になっています。そして、この養魚場の所の様子ですが、写っているのは小学校です。ハザードマップでは避難所に指定されていますが、当然浸水も想定されており、一階は使えないことになっています。自然堤防の上は古くから住宅地になって来ましたが、小学校や役所は土地が空いていたところに建てられますので、こうした低地に建っていることも多いことは知っておかなければならないですね。

かつて堀田だった場所の現在の状況_撮影:知花武佳


皆川典久 東京スリバチ学会
今さっきの堀田は地形というか、模様自体は宅地化されても残っているんですか?

知花武佳 河川研究者
いや、もう残ってないです。

皆川典久 東京スリバチ学会
街路の縦横のラインが掘田の名残を残しているとか、そういうのもないですか?

知花武佳 河川研究者
おそらくないですね。さっきの養魚場も輪郭は何もとどめていないですね。完全に埋めていると思います。信濃川に行っても、同じような泥沼で苦労したっていう話は山ほど出てきますね。

北河大次郎 ドボ博館長
フォッサマグナのエリアならではということですか?

知花武佳 河川研究者

区分①で石狩平野の泥炭地の話をしましたが、それとはだいぶ違います。新潟は特に砂丘で塞がれているというのがありますけれども、別に東京湾はむしろ沈んでいるという方が大きいでしょうし。だから、フォッサマグナの陥没とこの沼地の話を関連付けていいのか、僕も正直よく分かりません。ただ、フォッサマグナのエリアは、伊豆半島がぶつかってきて、真ん中は隆起しているけれども、周辺地域はいまだに沈んでいます。埼玉平野でも年間1mm前後くらいでは台地が沈んでいっているところがあるので、そういう意味では沼地ができやすいというのはあると思います。


北河大次郎 ドボ博館長
石狩平野とは、どの辺が違いますか?

知花武佳 河川研究者
石狩平野は、堆積しているものがグズグズなのかな。泥炭層なので、有機物とかが溜まって分解されなくて、そのままになっているっていう。それと標高はこちらの方が低いですね.石狩川で蛇行しているのは砂川とかですから,中流域ですよね.一方,こちらは海沿いの下流域でして、中流域で沈降が起こることはまずないですね。

三橋さゆり 河川管理者
石狩川は神居古潭(かむいこたん)の狭窄部の影響で、上流からの土砂の供給がないですよね。だから溜まっているものが全然違うと思います。

(5)堤防決壊の碑が多いエリア

知花武佳 河川研究者
このエリアは、破堤の碑が多い気がします。堤防で守られている所が多いことの裏返しかもしれません。この写真は信濃川の横田切れの碑です。

 信濃川(新潟県)_撮影:知花武佳


知花武佳 河川研究者
久下の荒川の決壊の碑

荒川(埼玉県)_撮影:知花武佳

知花武佳 河川研究者
カスリン台風での利根川の決壊の碑。

利根川(埼玉県)_撮影:知花武佳

知花武佳 河川研究者
小貝川にもあります。

小貝川_撮影:知花武佳

とにかく堤防で地域が守られて、しかも大河川なので、どうしてもこのエリアに多いという気はします。高橋裕先生は「絶対まずは決壊箇所に行って、立ってどこから水が来たかを考えろ」って、よくおっしゃっているようです。

北河大次郎 ドボ博館長
フォッサマグナのエリアは、堤防の破堤も多いってことですか。

知花武佳 河川研究者
結局、低平地を無理に堤防で守っているエリアなので。あとはあるとすれば、筑後川や淀川ですね。

北河大次郎 ドボ博館長
濃尾平野は?

知花武佳 河川研究者
濃尾平野は、左岸・右岸の差があって、左岸が切れなくて、右岸は逆にしょっちゅう切れていて、流路もあっち行ったりこっち行ったりしているから、意外とつくりにくいかもしれないですね。山のように切れていると思いますけど。

三橋さゆり 河川管理者
あと、こういう碑を作る人が結構バラバラなんですよね。主体が。例えば地元の偉い県会議員が作っている場合もあるし、水防団長さんみたいな人が作っている場合もあるし。国交省自ら作ることもある、地元の県知事の名前の時もありますし。結構バラバラですね。

小野田滋 元国鉄職員の人@豊川
鉄道ではね、水害で転がってきた転石をそのまま石碑にしたのがいくつかあって、奈良線の玉水駅のプラットホームには山城水害の転石が、日豊本線の竜ヶ水駅のプラットホームには平成5年の水害の転石が水難碑として置かれています。

知花武佳 河川研究者
面白いですね。そういうことあるんだ。

三橋さゆり 河川管理者
碑で多いのは、決壊の碑よりも水難の碑ですね。圧倒的に多いですね。何百個とあります。

知花武佳 河川研究者
水難の碑ということは…

三橋さゆり 河川管理者
要するに、地元の人が何かの出水の時に、亡くなった方を鎮める為に言葉や名前を書いてあったりですね。〇〇さん、何歳とか書いてあるのがかなりあります。堤防沿いにある場合もありますし、すぐ近くのお寺とかに置いてある場合もありますし。ものすごく多いです。
©JSCE/DOBOHAKU ©土木学会 土木図書館委員会 ドボ博小委員会