TOKYO INFRASTRUCTURE 036 Sumidagawa Bridge

隅田川の眺望を確保した鉄道橋


隅田川を渡る鉄道橋は、1896年に日本鉄道土浦線(現在の常磐線)に架設された隅田川橋梁が最初であったが、水量も豊富で舟運の発達した中下流部では鉄道橋の架設が困難で、東京と千葉方面を結ぶ総武鉄道(現在のJR総武本線)も両国にターミナルを設けたまま隅田川に阻まれ、都心をめざすことを躊躇していた。

東武鉄道伊勢崎線も、浅草駅(のち業平橋駅を経て現在のとうきょうスカイツリー駅)を隅田川左岸の業平橋に設けていたが、隅田川を渡ってさらに浅草をめざすこととなり、1927年に隅田川橋梁の建設に着手した。設計にあたっては、東京帝国大学教授の田中豊の指導を受けたが、田中は鉄道省から出向して帝都復興院橋梁課長として震災復興橋梁の設計にあたった技術者だったので、すでに完成していた隅田川の橋梁群を前提として東武鉄道の隅田川橋梁の設計にあたり、同じ3径間の橋梁として完成させた。

川端康成の小説『浅草紅団』では地下鉄ビルの塔屋からの眺望として

「東の窓は一目の前に神谷酒場。その左下の東武鉄道浅草建設所は、板囲いの空地。大川。吾妻橋-仮橋と銭高組の架橋工事。東武鉄道鉄橋工事。」

とパノラミックに描写され、江戸時代から続く盛り場であった浅草が、地下鉄の開通や東武鉄道の架橋工事によって、モダン都市へと変貌する様子を活写している。

東武鉄道の隅田川橋梁は、複線の線路を支えるためにゲルバー式のワーレントラスを採用したが、車窓からの眺望を確保するために上弦材の上面が車窓の下端に被らないよう、中路式のワーレントラスを採用し、主構の高さを全長にわたって一定とした。(小野田)

 

Map

引用
川端康成全集第4巻、新潮社、1981.

種別 鉄道橋
所在地 東京都台東区・墨田区
構造形式 鋼製 ゲルバー式ワーレントラス桁橋
規模 橋長166m
竣工年 1931年
管理者 東武鉄道株式会社
技術解説
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