かつての宿場町で、近代以降は、鉄道と幹線道路の結節点として肥大化した<循環器系>の要。
駅の東側の新宿三丁目あたりまでは、地下鉄丸ノ内線とほぼ平行して、沿線のデパートを取り込んだ長大な地下空間が広がる。わが国最大の歓楽街・歌舞伎町も近い。今は、地下鉄副都心線がこれと交差し、<血流>はさらに縦横・上下に広がり、新宿南口のバスタにまで地下通路でつながっている。
駅の西側では、明治時代、青梅街道と甲州街道に挟まれたエリアに、広大な淀橋浄水場が築かれた。玉川上水からの水を浄化し、それを本郷・芝の配水地までポンプアップする近代水道の一大拠点である。しかし、それも巨大化する東京の<血流>の中継地点としては容量不足となり、東村山に機能を移設。そしてその広大な跡地に、超高層ビル群がそびえたつ再開発計画が企てられた。近代インフラ跡地を利用した東京の再開発としては、最初期かつ最大級の事業である。こうして、日本ではまだ珍しかった200m級のビルが次々と建設されていった。
また、新宿駅西口駅前には、坂倉準三設計によるロータリーを取り囲むように、京王、小田急のターミナルビルが建てられ、駅を利用する大量の通勤客の受け皿となった。なお、これら私鉄によるターミナルビル建設とほぼ期を同じくして、東口には国鉄の駅ビル・民衆駅がつくられている。
この副都心建設には、高層ビルが建ち並ぶ経済大国アメリカへの憧れがにじみ出ている。このアメリカに対する思いは、ほぼ同時期につくられたパリの新都心ラ・デファンス地区にも通じるものがある。この両者は、歩車分離・人工地盤など技術的にも共通点が多い。ラ・デファンスのシンボルが新凱旋門だとすると、新宿副都心のモニュメントは東京都庁舎といえようか。ノートルダム寺院を覆い包む規模でつくられたのが新凱旋門だとすると、都庁のデザインもこのゴシック建築の双塔になぞらえることができるという、奇妙な関連性もある。
いずれにせよ、<循環器系>の要である新宿に、東京の司令塔つまり<頭脳>の機能が加えられた。意図されたものかは詳らかでないが、集積回路のような都庁のファサードデザインも、<脳>であることをさらけ出しているかのようで、どこかほほえましい。(北河)