東京の私鉄は、山手線から外側に拡がっている。山手線はかつて「万里の長城」とも称され、その内側は市電、外側が私鉄、という住み分けができていた。中には「万里の長城」に「侵入」しようとした池上電気鉄道のようなチャレンジングな路線もあるが、基本的にはどの会社も山手線の駅を一大ターミナルに改造し、郊外沿線を発展させて、新たな交通需要を創出することに注力した。こうして、まだ人影乏しかった大東京の広大なエリアに、<血>を廻らせたのである。
中でも東京急行電鉄(東急)は、多角的な経営によって、沿線での交通需要を格段に高め、東京郊外の近代化に大きな足跡を残した。渋谷、田園調布だけでなく、代官山、自由が丘、二子玉川、多摩田園都市、横浜など、沿線イメージを育む拠点を数多くもち、城南のブランドイメージ確立にも大きく貢献した。
多角経営の内容としては、住宅地開発、大学誘致、デパート経営、遊園地開発などを挙げることができる。これらは、関西の阪急の先行例を参考に実施されたものである。ただし、例えば学校誘致数が昭和12年時点で70校にのぼるなど(東工大、学芸大、慶応大、駒沢大・・)、その徹底ぶりはすさまじかった。
「此頃しきりに学校は郊外へと分離して出て行く趨勢があるのではないか。もともと近代の大都市といふものは、あらゆる要素をそのうちに含むのが原則となつてゐるのであるが、近来は、複雑化した大都市からはなれて、より静かな地に、より経済的であり能率的である地にはなれて行く勢を見るではないか。・・・かゝる現象を称してわれわれは単一巨大都市から、衛星付巨大都市への趨向といふ。」(今和次郎、1929)
東京が、「単一巨大都市」から「衛星付巨大都市」へ脱皮する上での陰の立役者が、東急をはじめとする私鉄だったわけである。(北河)
引用
今和次郎:新版大東京案内、中央公論社、1929.
種別 | 鉄道 |
所在地 | 東京都渋谷区・目黒区・大田区・品川区・世田谷区・町田市 神奈川県横浜市・川崎市・大和市 |
規模 | 延長104.9km |
竣工年 | 1987年 |
管理者 | 東京急行電鉄株式会社 |