[注意]
このレポートは、建築担当かつ“歩きテクト”のドボ博学芸員K.U.が建築・街歩き目線で土木を語る、“個人的視点”に基づくものである。
■”山田守”とくれば”山口文象”でしょう!!
“山田守”について前回はレポートしたが、そうなると外せないのが“山口文象”。
“文象”という名が印象的な“山口文象”。名前だけみても、ちょっと数奇な人生を辿っている。
まずは浅草の大工、山口勝平の次男として生まれ、“山口瀧蔵”と命名される。その後親戚の岡村家に養子入りし“岡村瀧蔵”となり、さらに改名して“岡村文三”となる。ところが噺家の林家文三と同じであることを嫌い“岡村蚊象(大小両極端な生き物を合わせる)”と名乗る。そして通称“山口蚊象”を経て、最終的に“山口文象”と名乗るようになるのは、40歳になってから。これだけでも、ちょっと普通でない感じが漂うではないか。
建築・ドボクに関していえば、アニキ分の“山田守”を追うように逓信省〜復興局においてドボクに関わり、建築運動としても山田守の“分離派建築会”(こちらにも途中参加)に呼応するように“創宇社建築会”を立ち上げた“山口文象”。類似した面もありながら、東大出身の山田守と職工徒弟学校卒の叩き上げの山口文象という対照的な面も併せ持つ二人の関係も興味深い。土木との関わりで言えば、ダム関連施設にまで設計する、というアニキにも引けを取らない深い関わりよう!!
これは….
ドボ博として取り上げないわけにはいかないではないか!!
というわけで「建築とドボク」第二弾として、山口文象を取り上げようと思う。
■美しき”木炭スケッチパース”
初期のドボクとの関わりでいえば、まず印象に残るのは山口文象のスケッチパースであろう。
山口の関わった分離派建築会でのスケッチパースが圧巻であるが、その腕がドボクの方面でも発揮されることとなる。
逓信省の製図工時代に山田守に出会うが、関東大震災後に内務省復興局が設置され、その土木部橋梁課へ移った山田守のひきで山口も橋梁課へ移籍する。その時代に山口が作成したのが大量のスケッチパースだ。山口文象の木炭によるスケッチは、おそらく短期間で描かれたものだと思うが、どれも大変美しく、大胆さと繊細さ、そしてドボクならではの力強さも感じることができる。
この復興橋梁を中心に、この時期に山口の関わったドボクについて見て行こう。
[お詫び] ここでは山口文象のスケッチは載せない代わりに、私の [ラフ(笑ってください)] スケッチを載せます。
本物のスケッチは下記HPで見ることができるので、ぜひ参照ください!!
・建築家 山口文象(+初期RIA) アーカイブス ※制作:伊達美徳
https://sites.google.com/site/dateyg/
■再び“聖橋” (2017.8.30撮影)
竣工 1927年(昭和2年)
設計 成瀬勝武。山田守は意匠面で助言したといわれる。
山田守の回でも紹介したが、再度スケッチパース(下のは私のラフスケッチ)とともに紹介。
完全に鳥の目線(鳥瞰)です!!
このアングルから見ようと思うと、位置的には東京医科歯科大学の建物の、さらに高層階からの視点になってしまうではないか!!
近いアングルから撮ろうと思うと、このあたりが限界です・・・・
もう少し全体を見ようと思うと、角度を変えてこんな位置ですか??
スケッチのように道路の路面も見るためには、かなり高い位置から見る必要が。。。。
1枚の絵で表現するとなると“何を描くか”ということがポイントになると思うのだが、やはり“聖橋”だけに、手前(昌平坂学問所)と奥(ニコライ堂)を繋いでいるのがわかるようなアングルにしたのだろうか。それとも、一番橋が美しく見えるアングルを模索した結果なのだろうか。う〜む。
ニコライ堂を描いていないので、後者なのか!?などと勝手に妄想。
※付記:2017年12月時点で補強工事の防護柵が撤去され、再度全体像を眺められるようになった。
■”豊海橋”から”永代橋”を望む (2017.7.20撮影)
竣工 1927年(昭和2年)
設計 福田武雄
こちらも鳥瞰のスケッチパース。
このアングルは、もう完全に隅田川上空です!!
ゲート状の構造を見せたかったから、かなり上の方からの視点になったのだろうか!?
(空は飛べないので)永代橋より同じ角度から見ると、こうなる。
さらに、永代橋の反対側歩道から見ると、この通り。
歩道の手摺で豊海橋がハッキリとは見られないのが残念。
川端康成も書いていた通り、豊海橋側から見た永代橋は良いもんですな。
構造がフィーレンデールと呼ばれる柱梁構造であるため、フレームによる額縁効果があります。
スケッチパースでは川面へ橋が写り込んだ絵となっているが、この構造はフレームが水面に写り込んでイメージが完成するのか、とも想像。
このフィーレンデール構造は、山口自身の設計による黒部第二発電所に至る目黒橋でも採用されていることも考えると、山口の好みに合っていたのではないかと思う。
■正面と真横、2つの顔を持つ”清洲橋” (2017.8.30撮影)
竣工 1928年(昭和3年)
設計 鈴木精一。山田守とともに山口文象が意匠面に関与したといわれる。
さて、隅田川を徐々に上流側に移動することにしよう。
次は“清洲橋”だ。
ちょっとアングルは違うが、すぐ近くのホテルに川床ができているので、そちらから眺めると全体がよく見える。吊り構造の華奢なラインがよく見える。豊海橋、永代橋の力強い構造を見た後だと、特にその繊細なラインがわかる。真横からだと吊り構造のラインが綺麗に見えるが、正面から見るとアーチの門型のデザインがよく見える、2つの顔を持つ橋だ。
スケッチのアングルからすると、これぐらいの位置だろうか。
ここは、かなりスケッチに近いところから眺めることができる。
吊り橋のシルエットはスケッチのままだが、橋門構のデザインは実際のものとは違うようだ。
アーチ状になることで“門”のイメージが強くなったように感じる。
長辺方向も短辺方向も美しいデザインだ。真横からだと吊り構造のラインが綺麗に見えるが、正面から見るとアーチの門型のデザインがよく見える、2つの顔を持つ橋だ。
やはりこれぐらいのアングルから見るのが美しく、橋の構造もよくわかる。
■稲色の”蔵前橋” (2017.8.30撮影)
竣工 1927年(昭和2年)
設計 井浦亥三
さらに隅田川を上り、次は蔵前橋。
スケッチだとシンプルな3径間のアーチが掛かった量塊的な橋に見えるが・・・
実際の橋は構造の鋼材が透けて見え、重量感はさほどない。
構造好きとしては、構造がダイレクトに見られて嬉しいところだが。
■駒形堂のほとりに建つ”駒形橋” (2017.8.30撮影)
竣工 1927年(昭和2年)
設計 岩切良助
さらに隅田川を上り、次は駒形橋。
スケッチのアングルで見ると、
なんと! スカイツリーが正面に来る、という奇跡!!
両端の部分は、蔵前橋と同じく支持構造が露出して見える。
もちろんスカイツリーもよく見えます!
■シンプルな”言問橋” (2017.8.30撮影)
竣工 1928年(昭和3年)
隅田川橋梁の最後は言問橋。
スケッチで見ると、かなりシンプルそうな橋。
臨場感のあるスケッチを書くのは難しそうな橋です・・・
スケッチのアングルから見た実際の言問橋。橋の裏から見ると構造体が連続していて格好いいんですけど、何も知らずに離れて見るとかなりシンプルに見えます。
蔵前橋と同じ目線からのアングルで攻める、という選択肢もあったと思うが、なぜ鳥の目アングルにしたのだろうか。
■アーチ三連”厩橋” (2017.8.30撮影)
1929年(昭和4年)
設計 東京市土木局
パースは確認できなかったが、山口自身が関与したと言っている橋に“厩橋”も上がっていたので、パシリ。
それにしても、スカイツリーはいろんなところから見える。
■重厚感あふれる”浜離宮 南門橋” (2017.8.30撮影)
竣工 1926年(大正15年)
※設計に山口文象が関わった
隅田川橋梁ではないが、震災復興橋梁の一つとして山口の関わった橋として、浜離宮の南門橋がある。ロマネスク風の意匠の落ち着いた橋だ。
手摺下に連続したロンバルティア帯が美しい。水辺までの高さが低くシャープなアーチとなっている。手摺も低くなっているため薄いイメージに見える。
道路上面側を見ると、装飾も少なく、緩やかな曲線が印象的な橋に見える。横から見るのと違って、ロマネスク風というよりも、表現主義的にも見える。
■山崎発電所・早川取水堰:荻窪用水とその関連施設 (2017.9.29撮影)
竣工 1936年(昭和11年)
設計 山口文象
ここからは番外編。本来であれば黒部川第2発電所を紹介したいところだが、東京近郊で見ることのできる山口文象の水道関連の建物を紹介。
復興局で復興橋梁に関わっていた頃、復興局橋梁課の田中豊を通じて日本電力とも関係ができる。その関係で日本電力のいくつかの施設を設計することとなる。代表的なものは黒部川第2発電所であるが、関東にも山口が関わったと思われる施設がある。それが山崎発電所、早川取水堰だ。
箱根湯本駅から歩いてすぐのところに取水堰がある。箱根駅伝でも有名な函嶺洞門のすぐ下流にあるのだが、存在に気づいていない人も多いはず。
こちらの写真は下流側から見たところ。小ぶりな建物ながらデザインの力を感じる。左上の通路に出る部分にかかる突き出た庇のデザインなどは秀逸。他方、構成する要素は最小限のものだけであり、合理主義的な視点も見逃せない。
※竣工時の写真を確認すると、右側の建物は後に改修されたもの。
取水堰の上流側から見る。左側に取水口がある。分水部に見られる船の舳先のような曲線が美しい。
ちなみに、荻窪用水はここから取水し、江戸時代に小田原まで引かれた農業用の用水である。
荻窪用水は「めだかの学校」のモチーフとしても有名。
箱根湯本駅から小田原方面へ一駅戻り、入生田駅で降りると“山崎発電所”がある。国道1号沿いにあるため、ここも箱根駅伝で通っているはずだが、ヒッソリと国道1号と早川に挟まれた敷地に建っている。円筒状の建物に横長水平窓がデザインされており、表現主義と国際様式がハイブリッドされたように見える。
早川の上流にある取水堰から取った水は、この発電所の発電用の水となっている。
■山口文象邸 (2017.10.2撮影)
竣工 1940年(昭和15年)
設計 山口文象
さてここからは、さらに番外編の番外編ということで、我々も接することのできる東京にある建物を2つほど紹介。
1つ目は山口文象の自邸。
それにしても建築家の自邸、というのは良いものです。しかも一流の建築家のものとなると尚更。
山口文象の自邸も、山田守の自邸と同じく、時を経てなお現存している貴重な存在。機会があればぜひ訪問していただきたい。1階は「クロスクラブ」として音楽コンサートなどが不定期で開かれており、その際は建物内を見ることができる。
1940年に建設してから、その都度増改築を繰り返しており、住まい方、素材など様々な試みためす実験場でもあり、その時々で異なる顔を見せていたようだ。
この建物は東急池上線久が原駅から坂を登った閑静な住宅街の中にある。敷地は広く、表と裏の2面の道路に面しているが、表側から建物を見ると、道路ギリギリまで建物が建てられているものの、平入りの屋根がかなり低く抑えられているため圧迫感は無い。また木造切妻の建物であるにもかかわらず、現在は道路側がタイルで仕上げられ、また独特なデザインも施されているため、和風とも洋風とも言えない独特のファサードを作り上げている。近くで見るとタイルとディテールが目に入るが、少し離れて見ると屋根の瓦が存在感を放つ。見方によりいろんな表情を見せる。
閉じながらも圧迫感の無い独自のデザイン。正面から見ると瓦の圧迫感も少ない。現在のタイルで覆われた道路側のファサードは、当初のものとは大きく違う。
瓦の屋根とファサードの取り合い。
敷地内には、かなり大きな中庭がある。裏側道路に面したにも建物がある。
増築の過程で建物に囲まれた樹木。自然へ敬意と時の流れを感じる。
■林芙美子邸(現:林芙美子記念館) (2017.10.3撮影)
竣工 1941年(昭和16年)
設計 山口文象
大地の際の傾斜地に建つ和風の名建築。この建物の設計も山口文象だ。土木と建築を繋ぐ役割を果たしただけでなく、建築においても近代建築と和風建築の双方において実力を発揮した。それもそのはず、山口の実家は大工の家系であり、そのDNAと若い頃の環境が和風建築においても発揮されないはずがない。そして、その代表的な建物がこの林芙美子邸だ。
南側から縁側の方を望む。手前のアトリエ棟と奥の生活棟が幾層にも折り重なっているように見える。「東西南北風の吹き抜ける家」とする林芙美子の考えが、形にそのまま表れたように思える。
裏から見ても手抜きがなく、どこを見ても格好良い。弧篷庵忘筌のようなデザイン。
茶の間。平面ともに暮らしの中心となりそうな場所だ。広縁から庭への眺めが良い。
今回、私の思いつきで、スケッチパースと実物の橋を見比べてみたが、現地に行ってみるとスケッチと実際のデザインが違う部分もかなり確認できた。そういう意味では、完成イメージとしてより、検討用のスケッチとしてかなり貢献したことを伺うことができたとも言える。実際にはスケッチパースを元に、新たなアイデアが想起されたこともかなりあったのでは、などと想像したくもなった。
山口文象と土木の関わりは、ダム、橋、発電所に渡り、土木分野に深く入り込んだ印象だ。建築についても和風から近代建築まで幅が広い。今回、山口文象の関わった作品をいくつか見て回り、全体として「非常に懐の深い人」という印象が強く残った。またその活動領域だけでなく、熱量もスゴい。スケッチの筆致でも感じることだが、その活動量、細部へのこだわり、など、端々からそのエネルギーを感じることも多かった。皆様にも、これを機会に、ぜひ直にその熱を感じて欲しいと思う。
■リンク
・山口文象の土木作品マップ(+建築)
https://www.google.co.jp/maps/@35.4949474,139.165683,10z/data=!4m2!6m1!1s1e_RNldjroYr1Kv-4oEgWpYRes7w?hl=ja
・建築家 山口文象(+初期RIA) アーカイブス ※制作:伊達美徳
https://sites.google.com/site/dateyg/
・ドボ博:東京インフラ017 永代橋
http://www.dobohaku.com/%e6%b0%b8%e4%bb%a3%e6%a9%8b/
・ドボ博:東京インフラ018 豊海橋
http://www.dobohaku.com/%e8%b1%8a%e6%b5%b7%e6%a9%8b/
・ドボ博:東京インフラ019 清洲橋
http://www.dobohaku.com/%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%95%e3%83%a9%e8%a7%a3%e5%89%96005%e3%80%80%e6%b8%85%e6%b4%b2%e6%a9%8b/
・ドボ博:東京インフラ028 聖橋
http://www.dobohaku.com/%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%95%e3%83%a9022-%e8%81%96%e6%a9%8b/
・荻窪用水と関連施設
https://www.jsce.or.jp/contents/isan/blanch/3_52.shtml
・庄川・小坂・黒部川第二発電所—石井頴一郎旧蔵写真集—
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/koshashin/ishii/03/images/0073.htm
・クロスクラブ(旧:山口文象自邸)
http://tokyo.itot.jp/kugahara/special/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96m
http://kurokawa-pke.com/kammer/concerts/crossclub/sub61.htm
・新宿区立 林芙美子記念館(旧:林芙美子邸)
https://www.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/fumiko/12/
■参考文献
・『山田文象 人と作品』RIA建築綜合研究所 編集,相模書房,1982年
・『新編 山田文象 人と作品』伊達美徳 編著,RIA,2003年
・『現代日本建築家全集11:坂倉準三 山口文象とRIA』栗田勇一 監修,三一書房,1976年