(日本語) ドボ博 学芸員の部屋 013

『山手線複複線開通記念絵葉書』に見る山手貨物線

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五反田駅周辺の山手線と東急線(提供:小野田滋)

現在、東京の鉄道網には、従前に貨物線であったところを旅客用に利用しているところがあります。その代表が、湘南新宿ラインや埼京線としても利用されている「山手貨物線」です。(ドボ博座談会パート20で話題になりました。)

今回の学芸員の部屋では、貴重な絵葉書や図をもとに、ドボ博の小野田滋・鉄道担当理事が、山手貨物線の歴史について詳しく解説します。(学芸員S.T記)

 


 

『山手線複複線開通記念絵葉書』に見る山手貨物線

明治時代に開業した「元祖・山手線」は、現在の山手貨物線のルートでしたが、輸送量の増加とともに、大正時代に電車線を新設して複々線化されることとなり、さらに駒込~田端間に東北本線(田端操車場)へ抜ける短絡線を新設しました。山手線の複々線化工事は、品川方から順次行われ、1916(大正5)年に着工して、1925(大正14)年に完成しました。続いて同年から、中里トンネルの建設が開始され、1928(昭和3)年に完成しました。工事は、鉄道省東京改良事務所が担当しました。

 

1.五反田~目黒間の永峯トンネルと目黒駅改良工事

山手線の複線化当時の永峯トンネル(右)と複々線化で完成した電車線の目黒駅(左)(提供:小野田滋)

右下の写真は、現在の山手貨物線の五反田~目黒間にあった単線並列の永峯(「永峰」とも)トンネルで、複々線化工事で解体される直前の姿を表しています。永峯トンネルの直上に、三田用水と現在の目黒通りが通っていました。左側では電車線の新設工事が始まっていて、すでに永峯トンネルの坑門の一部が取り壊されています。

左上の写真は、改築工事が完成した山手電車線の目黒駅で、その上を鉄筋コンクリート構造の三田用水の懸樋と、径間100フィートのイギリス製ポニーワーレントラスを転用した目黒通りの跨線橋が跨いでおり、このあたりに永峯トンネルが存在していたことが推察されます。

※出典:『山手線複複線開通記念絵葉書』鉄道省(1925)

 

 

2.駒込~田端間の道灌山トンネルと中里トンネル新設工事

山手線の道灌山トンネル坑口(左)と駒込田端間の路線変更(右)(提供:小野田滋)

右下の写真では、右側の奥に道灌山トンネルが見え、左側では山手線と東北本線(田端操車場)を短絡する中里トンネルが建設中で、その上をプレートガーダで跨ぐ山手電車線も工事中です。中央の2本の線路が山手線で、現在の貨物線に相当し、中里トンネルの完成によって左側へカーブするルートに変更され、道灌山トンネルは廃止されました。

左上の写真は、山手線が通過していた頃の道灌山トンネルで、当時としては珍しかった複線断面トンネルだったことがわかります。現在の駒込~田端間の法面には、今も道灌山トンネルの坑門の一部が露出しています。ちなみに、現在の山手貨物線は、湘南新宿ラインの旅客線ルートとしても活用されており、中里トンネルはその「要」として機能しています。

※出典:『山手線複複線開通記念絵葉書』鉄道省(1925)

 

 

3.山手線品川~渋谷間線路縦断面図

山手線(貨物線と電車線)の品川~渋谷間線路縦断面図(提供:小野田滋)

青線が従来の山手線(現在の貨物線)、赤線が新設された電車線を示しています。貨物線は、蒸気機関車の時代に建設されたため、最急勾配は10‰でしたが、電車線では最急勾配20‰が許容されたため、目黒駅付近で大きな高低差が生じることになりました。切取と盛土の土量が均衡するようにバランスさせて、無駄な発生土がなるべく出ないように工事が進められたことがわかります。

※図は『新橋・国府津・千葉保線事務所管内線路一覧略図』(鉄道省東京鉄道局保線課・1919)に基づき作成(小野田滋「山手線のトンネル」『鉄道ファン』No.588(2010)より転載)。

 

 


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