東京インフラ010 月島・晴海・豊洲

“Metabolism” of the seaside


「隅田河口は年々陸地を拡げて品川沖は殆ど埋れ尽さんとす。・・・此時に於ける港湾は最早単一なる船舶碇繋場にあらずして寧ろ海上の市街なり。」(正岡子規)

「築地のさらに海側に位置する月島、晴海などの地域は、明治から昭和はじめにかけて埋立てが進んでいった、いわば「臨海都市の老舗」と呼べる一帯です。」(泉麻人)

正岡子規が「四百年後の東京」に描いた東京湾の姿は、100年もたたないうちに現実のものとなった。月島あたりは、子規が東京で生活していた時からすでに埋め立てが進められ、その後、月島の一部として晴海が生まれ、関東大震災のがれきを使って豊洲・有明が誕生した。

「(豊洲埠頭辺りの)埋立地の人工の平坦な幾何学的な土地が、いつぱいに湛へてゐる春の野は美しい。」(三島由紀夫)

「都心には、晴海にル・コルビュジエによるマルセイユのユニテ・ダビタシオンのような高層アパートが実現した」(陣内秀信)

ここは、東京に新たに付け加わった人工的な<肉体>で、皇紀2600年の博覧会会場や、その他もろもろの祝祭的なイベントが計画・実施される中で、構造物ができては取り壊され、「ユニテ・ダビタシオンのような高層アパート」も、すでに撤去されてしまった。「春の野の美しさ」も、今は風前の灯である。しかし、まるで子供の皮膚のように目覚しい新陳代謝を繰り返してきたこの「人工の平坦な幾何学的な土地」も、そろそろ<体>ができてきたようである。湾岸に暮らす人々のために、晴海には次々と高層ビル群が立ち並び、豊洲には新中央卸売市場という東京の新たな中核施設が完成しようとしている。(北河)

この物件へいく
引用
子規全集第12巻、講談社、1975.
泉麻人:新・東京23区物語、新潮文庫、2001.
決定版三島由紀夫全集第7集、新潮社、2001.
陣内秀信・三浦展編著:中央線がなかったら見えてくる東京の古層、NTT出版、2012.

Back To Top