「上野発の夜行列車・・」は今や過去のものとなってしまったが、東京の北の玄関口としての風格は、今なおよく留めている。北から上野台地をまわりこむように南下した線路が、下町にでる手前につくられた駅舎。地下では、地下鉄銀座線と日比谷線が接続し、かつては昭和通りを挟んでつくられた地下鉄上野ストアとも地下通路で結ばれていた(地下通路は現存し、上野ストアがあった場所には現在東京地下鉄(株)本社ビルが建っている)。
駅の外観は、割と渋好みである。ファサードは古典的で、派手さはなく、面取りした角柱にエンタシスを付けた列柱を、さりげない見所としている。むしろデザイン上のハイライトは内部にあり、正面中央の吹き抜けの大空間と、北への旅情を誘う猪熊弦一郎の壁画(1951年)・平山郁夫(1985年)のステンドグラスで改札口へと誘う鉄とガラスのコンコースに、目がひきつけられる。
機能的には、車と人の流れの処理の仕方が面白い。昭和通りからくる自動車の流れを、駅舎正面の上下(地上と地下)で立体的にさばくという、いかにも自動車時代にふさわしい構造をしている。東京駅が、横長駅舎の両端の南北出入口で乗車口と降車口を平面的に区別したのとは対照的である。
しかし今の上野駅は、ペデストリアンデッキによって往時の風格あるファサードが隠され、車も地上入口および正面地下に直接アクセスできず、本来と異なる使われ方をしている。
「上野へゆけば、地上に若いスキーヤーたちのあふれている駅がある。だが、その駅の地下には、両側に屋台と一杯飲み屋が立ち並び、汚ない床にじかに横たわって眠ったりしゃべったり食ったりしている浮浪者と旅行者でいっぱいになった地下街があって、つまりは《どん底》の小説的な本質がまさしくみごとにそこに生まれている。」(ロラン・バルト)
さすがに1960年代の風景は過去のものとなったが、考え抜かれた駅前の太い<血管>よりも、アメ横をはじめとする駅まわりの<毛細血管>に生き生きとした<血>が巡り、上野らしい情景が広がっているのは今も変わらない。(北河)
ロラン・バルト(宗左近訳):表徴の帝国、ちくま学芸文庫、1996.
種別 | 駅 |
所在地 | 東京都台東区 |
構造形式 | 鉄筋コンクリート造 地上4階地下4階建(JR) |
規模 | 面積125365㎡(JR) |
竣工年 | 1931年改築(JR) 1927年(東京メトロ) |
管理者 | JR東日本(地下鉄駅については東京メトロ) |
設計者 | 国(鉄道省)(地下鉄駅については東京地下鐵道) |