パート12 “つながることでまちのカラーは薄まる?上野はしぶとい?”
いろんな事情で計画が変わるといった例は、新幹線の他にもありますよね。
例えば、首都高の中央環状品川線。もともと全部高架方式で検討されてましたよね。
最終的には、地下化しましたね。
技術が追いついた、ってところなんだと思うんですけどね。
確かにいろいろ検討している間に技術が変わって、当初と違う形でつくられたというのはありますね。
オリンピックについてはどうですか。特にオリンピックに向けて強烈に進んでる、って感じはしないですよね。
インフラ整備という観点からみると、巨大なプロジェクトはないですよね。外環や環状2号線の整備が、代表例には挙げられますが。
1964年の時ほどにはないですね。あの時は本当に劇的といっていいほど、いろいろ変わりましたからね。
僕のおばあちゃんちが原宿にあるんですが、1964年の東京オリンピックの時に、外国人がトイレを借りに来るかもしれない、っていうことで、水洗トイレを引かれたっていう話をしてました(笑)
まあ確かに50年たって、ずいぶん時代が変わりました。考えてみれば、できるだけ既存のものを活かすっていうのが今回のコンセプトだから、むしろ劇的に変わらないのが当然かもしれませんね。
少し話題を変えていいですか。
僕はインフラによって都市の姿が劇的に変わるってよりも、インフラがいろいろ繋がることで、ソフトの部分が変わることが気になります。例えば副都心線ができて、横浜の人が新宿に行きやすくなりましたよね。
僕のもともとの新宿のイメージは、歴史の教科書の「現代」のページに出てくるような、ギター持った人が歌っている駅で、それが渋谷と違う点かなと思うんですが、そういう新宿的な雰囲気も変わってくるんじゃないかなって...
まちのカラーが薄まる、っていう危険性っていうのは感じるね。池袋と新宿とか、みんなカラーが違ったじゃないですか。でもわりと似ちゃう感じがしますよね。インフラが繋がると。
東海道線も常磐線とつながって、上野にも行きやすくなると...
ただ上野駅は結構しぶとくて、ブルートレインがいなくなっても、
昔はもっと濃かったですよね。上野もね。雰囲気はまだ残ってますけどね。
上野の話でいうと、駅の使い方が雑然としてますよね。ごちゃごちゃしているというか...
もともとは、この写真のように正面に上下二段の車寄せを作って、車の流れを立体的にさばく設計だったんですがね。今、この正面は、ほとんど活かされていない。みんなアメ横の方の広小路口を使っている。上野公園に行く人は公園口。浅草方面や地下鉄は、正面横の浅草口で、正面から出入りする人がほとんどいないんです。
今はペデストリアンデッキができて、ファサードの印象も薄いですしね。
設計思想からいうと、東京駅が乗車口と降車口を南北に離してつくって、ものすごく不便になってしまった反省があって、上野駅は乗降口を上下二段に重ねたんですけどね。
空港でよく見る方式ですね!
中国の大連駅も同じようなデザインですよね。
同時期につくられた昭和通りからの車の流れを意識しているっていう意味でも、先駆的な駅ですよね。
車はかなり意識していますよね。この時代から車がだんだん普及してくるので。車と人の動線が重ならないように地下道が駅前に建設されるように
【次回へ続く】
学芸員(編集担当)からの補足情報
■首都高の歴史を振り返ってみよう
1964年のオリンピックに向けて建設されたインフラといえば新幹線と並んで首都高があります。現在のネットワークがどのような年代にどのような順番で建設されたのかについては知らない人も多いのではないでしょうか?
首都高速道路株式会社のWebsiteでは、「首都高の歴史」として首都高が建設されていった経緯を知ることができます。
http://www.shutoko.jp/fun/history/
個人的(編集担当)には、首都高グッズにも少し反応してしまいました。土木好きのみなさんは一度チェックしてみるのはいかがでしょうか?
■ドボ博の上野関連コンテンツを見てみよう
ドボ博の東京インフラ解剖の中で、上野に関連するコンテンツが多く展示されています。この展示を読んで、また上野周辺を訪れてみてはいかがでしょうか?
038 東京上野間市街線
039 上野駅
040 メトロ銀座線
041 上野公園
042 上野台地の崖線