パート15 “渋谷駅が複雑なわけ”
渋谷の話に戻しましょうか。渋谷のマニアックな見方を改めて教えてもらえませんか?
みどころは、渋谷の更新してきた過程が、かたちとして見えるってところです。
高校のときに習った地理で、断層や褶曲(しゅうきょく)で変形した地形を、地層のかたちからその過程が読み解ける、みたいな感じです。
歴史の変化が、今見てもわかる、と。
地形と駅の建物が一体となった複雑な渋谷の形も、調べていくと、時間の流れでひも解けるのが分かりました。
時間の堆積が、渋谷駅の形をつくっているんですよね。谷の底を、明治になって現在の山手線が渋谷川と並行して通り、その後いろいろな路線が谷底に順次乗り込んでくる。
そして、新たに乗り込む路線は、接続しやすいように、なるべく近くの空いた空間を見つけ、乗り換えのために、各プラットホームを連絡通路で結ぶ。空いた空間は、上空だったり地下だったり。それらの跡を、ほとんど全てたどることができる。渋谷駅の後には、同じようにして東京駅も調べてみました。
東京駅は、鉄道事業者も同じだし、わりとコントロールされた変化っていうか。渋谷の方が、混沌とした感じですよね・・・
渋谷駅は、ど田舎だったから。駅のでき方が、セレブな東京駅と全く異なります。
東京駅は、辰野金吾という天皇と近代化・西洋化を背負った巨匠建築家が、最初から計画していますから。辰野が計画した、三本の平行した東西方向の連絡通路が、今でも東京駅の骨格です。
皇居を真正面にして、整然としてますよね。渋谷は、なんとなく作っていくうちに、重なり合っちゃったっていうか。。
結果的にできてきた、という感じがしますね。
結果を産んだのは、地形。
なんでそうやって全部もっていくんですか(笑)
ところで谷地形って、災害に対してはあまり強くないイメージがあるのですが。
渋谷川は氾濫しますか。
暴れ川ですよね。あの川は。
渋谷駅は、もともと道玄坂の上にできる計画があったようです。
現在の渋谷駅の場所は、川がY字にぶつかっているから、絶対に水害が起きるのは分かっていたので。最初の渋谷駅は、谷底でも現在の位置からは300メートル南にできました.鉄道忌避説によって、それは説明されることが多いのですが。
ただ、模型を作ってみて、最初の渋谷駅の位置が、谷底でもちょっと高いところだとわかったんですよ。当時の土木の専門家は、多分それを読み込んで、その場所を選んだのではないでしょうか。
スクランブル交差点あたりの低いところを避けたんですね。
宮益坂や道玄坂が栄えていくと、駅の利用者が増え、水害が起きても便利さが優先され、しょうがない、と。
賑やかになって、そっちに移っていったんだ。
渋谷駅は、ずっと水害が問題でした。2006年にも、地下街が被害にあってます。
鉄道は、街道よりも後から作っているので、
東京だと日比谷、
渋谷駅みたいに、駅のど真ん中を川が流れるのはないかな、と思って他の駅も見てみたんです。そうしたら、東京駅はかつて外堀があったりと、水の流れと駅の関係って、なにかあるかもしれない、と。新宿駅も玉川上水があったり。
玉川上水が、すぐ南を流れてますよね。
玉川上水は、新宿駅のJR線路群をくぐっていて。川と駅の関係も、いろいろあるんじゃないか、って最近思っているんです。
【次回へつづく】
■座談会アフタートーク
■渋谷駅は一日にしてならず(田村先生による寄稿)
前回、今回の座談会で渋谷について解説いただいている田村先生(昭和女子大学准教授)による、渋谷駅についての寄稿のリンクを掲載します(掲載は2012年)。この文章の最後にあるように、渋谷は更新することそれ自身が目的でもあり魅力的でもあると思います。現在の工事の様子をみつつ、将来の渋谷についていろいろ調べてみると面白そうです。
https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK1002F_Q2A710C1000000?channel=DF130120166138&style=1
■東横線渋谷駅の変遷
渋谷駅というと、東横線のかまぼこ屋根を思い出す方も多いのではないでしょうか??東横線のホームの変遷については、渋谷文化プロジェクトHP内のページで詳細にまとめられています。ぜひ覗いてみてはいかがでしょうか?
https://www.shibuyabunka.com/special/201303/platform1/column.html