東京インフラ026 神田川

江戸の都市美


井之頭池を水源とし、武蔵野台地を横断する都市河川。この川も利根川と同じく、家康が江戸に入る前は東京湾(日比谷入江)に注ぎ出ていたのを ━当時は平川とよばれていた━、<外科手術>を経て、隅田川に合流するよう付け替えられた。東京湾に注ぎ出ていたころは、洪水のたびに水がアメーバ状に拡がる、輪郭もあいまな流路だったと考えられるが、「平川東遷」によって、硬い<骨格>の一部となって、江戸城の北方を東西に貫くこととなる。

この<骨>を通す上での最大の難所が、本郷台地の高台、いまのお茶の水付近であった。普通に考えれば、台地を迂回してその縁に沿って水を流すことになるが、それでは洪水時に城下周辺まで水が押し寄せるリスクが高まってしまう。そのことを考慮してか、台地の先を深く掘りこみ、そのまま隅田川までまっすぐ川を貫く工事が行われた。工事は幕府の命により仙台藩が担当。こうして、江戸を代表するインフラの風景がひとつ誕生した。

「ふかく削られた崖には草木が生いしげり、人工の谷に清流がながれ、のちに建てられる湯島の聖堂がみえ、水道橋ちかくは石垣が組まれ、川には上水懸樋とよばれた屋根つきの木橋が架設されている。いわば当時の都市美というべきものだった。」(司馬遼太郎)

ちなみに、この工事でつくりだされた崖から染み出る水が良質だったため、茶の湯に供したというのが、「お茶の水」の由来である。多くの人の汗が染みこんだこの土木空間は、今では人と車の喧騒の中にあるが、副次的に生まれた地名の由来を聞けば、多少は風雅な気分にひたることができる。(北河)

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引用
司馬遼太郎:街道をゆく36本所深川散歩・神田界隈、朝日文芸文庫、1995.

種別 河川
所在地 東京都千代田区・中央区・台東区・文京区・豊島区・新宿区・中野区・杉並区・武蔵野市
規模 延長24km
管理者 東京都
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