東京インフラ069 駒沢給水塔

王冠と坊主


渋谷がまだ区ではなく、東京市外の町であったとき、渋谷町は、町民のために独自の水道を敷設した。まず、町外の砧村に多摩川の取水所を設けて、駒沢村までポンプアップした後、町まで水を配水するシステムである。駒沢村につくられた中継点が駒沢給水塔。公共水道の給水塔としてはわが国で最初の事例で、かつ、鉄筋コンクリートを用いた塔状構造物としても最初期のものであった。

「印象的な佇まいを見せるのが駒沢給水塔。昭和の初め、江古田や大谷口など各地に造られた給水塔は、ドーム型の凝ったコンクリ建築に仕上げされているものですが、その先陣を切って大正13年に完成した駒沢の塔はひときわデザインが素晴らしい。上部が王冠状に象られ、取り囲むピラスター(付け柱)の頂きに紫色のガラス玉が取り付けられている。しかも2塔の双子型で間に鉄橋が渡されています。何度か見学したことがありますが、給水塔だけでなく、敷地内の池の取水口にもライオンの彫刻が施され、ちょっとした洋風庭園に仕立てられているのです。」(泉麻人)

2つの王冠を高く掲げたような、ただの<血管>の中継点とは思えないデザインである。さすがに、これをどの町にもつくるのは難しかったのであろう。これをモデルとしながらも、デザインをかなり簡略化した給水塔が、東京の他の郊外につくられていった。

「哲学道のすぐ北方に、よく哲学堂と混同される建物があります。吊鐘型のドーム状の佇まいをした水道局・野方給水塔(俗称、水道タンク)。・・・家並の先に、この灰色の塔がヌッと垣間見える瞬間というのは、ちょっとドキッとするものがあります。哲学堂と合わせて、このあたり”中野のミステリー・スポット”と呼んでもいいでしょう。」(泉麻人)

「大谷口の水道タンクは、昭和4年に建てられたコンクリート造りの建物で、長い年月風雨に晒されて、くすみを帯びたその色合いが、ある種不気味なムードを醸し出している。・・・江戸川乱歩の小説の舞台などを想起させる佇い、である。野方のタンクの方は、確か、「少年ジェット」のブラックデビルのアジトか何かにも使われたはずだ。」(泉麻人)

大谷口(板橋区、1931年)の給水塔はすでに撤去されたが、江古田の野方給水塔(中野区、1929年)はまだ健在である。野方給水塔は、簡略化のあまり、王冠をとって坊主頭をさらけだしているかのような、独特な雰囲気を醸し出している。(北河)

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引用
泉麻人:大東京バス案内、講談社文庫、2001.
泉麻人:新・東京23区物語、新潮文庫、2001.
泉麻人:大東京23区散歩、講談社、2014.

種別 上水道給水塔
所在地 東京都世田谷区
構造形式 鉄筋コンクリート造
規模 高さ22.7m
竣工年 1923年
管理者 東京都
設計者 渋谷町
備考 土木学会選奨土木遺産
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