江戸および東京においては、生活や産業に欠かせない水をどのように供給するのか、様々な工夫がなされ、そのために土木構造物も多く構築されました。水に関する土木構造物は水路基盤や給水塔、水道橋など数多く見ることができます。その中でも、市ヶ谷駅付近にある跨線水道橋は、水道橋でありながら鉄道省が設計した特徴的な構造物です。(ドボ博座談会パート22で話題になりました。)
今回の学芸員の部屋では、貴重な絵葉書や図版をもとに、ドボ博の小野田滋・鉄道担当理事に市ヶ谷跨線水道橋の歴史について、簡単に解説していただきます。(学芸員S.T記)
市ヶ谷見附跨線水道橋(市ヶ谷水管橋)について
外濠(釣堀)と市ヶ谷駅を5径間で跨いでいる橋長322フィート(98.1m)の市ヶ谷見附跨線水道橋(建設時の名称で東京都水道局では「市ヶ谷水管橋」と称する)は、東京市水道局が鉄道省東京第二改良事務所に工事を委託し、今井組の施工により1930(昭和5)年に完成した。
鉄道省が設計したこともあって、鉄道で用いられている単線下路プレートガーダの設計をほぼ準用しているが、水道管は列車荷重に比べると軽いため、市ヶ谷駅上空を跨いでいる桁は、支間91フィート6インチ(27.9m)に達する(標準設計の下路プレートガーダの最大支間は80フィート(24.6m))。
なお、現橋には「昭和四年」「株式会社横河橋梁製作所製作」の銘板がある。
外濠の景観を意識してか、人道橋ではないにもかかわらず、高欄を設けて隣接する市ヶ谷橋から、水道管の本体が見えないようにしている。
<参考文献>「新東京名所市ヶ谷見附跨線水道橋」『土木建築工事画報』Vol.7,No.4(1931)
■関連ドボ博コンテンツ
ドボ博座談会パート22
東京の水道インフラについての議論が展開しています。その中で今回の市ヶ谷水管橋が話題になりました。