東京の地形をつくりだした立役者。利根川水系とともに、川下に広大なデルタ地帯を形成する低地の軸線で、東京湾の水面下では多摩川、渋谷川、目黒川などと合一する。これは、<背骨>の役割である。また台地では、隅田川の支流が水の流れで谷を掘り込み、坂の多い山の手の個性を育んできた。こちらは<肋骨>のようなものである。
「東京におけるの隅田川は、網におけるの綱なり、・・・先ず綱を挙ぐれば網の細目はおのづから挙が(る)。」(幸田露伴)
の言葉通り、東京低地に張りめぐらされた運河ネットワークの中心軸でもある。かつては、大小の船が行き交い、物資を運ぶ、江戸・東京の<大動脈>でもあった。また、川沿いでは、数々の大規模開発が行われてきた。例えば、江戸時代、罪人の社会復帰のための更生施設がつくられた石川島に、明治になって一大工場地帯が築かれ((株)IHIの前身)、今ではスーパー堤防の上に大川端リバーシティーがそびえたつ。
ただ、いくら川岸の風景が移り変われども、滔々たる水の流れは、変わることはなかった。
「空襲で東京はほとんど丸焼けになっていたのに、川の流れだけは昔と何の変りもなく、それを見ていると僕は、どうやら死なずに還ってきたということを、あらためて自分自身に確かめられる心持であった。」(安岡章太郎)
隅田川は東京の<背骨>であるだけでなく、人の心の拠りどころでもあり続けた。まさに東京下町の母なる川である。(北河)
幸田露伴:一国の首都、岩波文庫、1993.
安岡章太郎:僕の東京地図、世界文化社、2006.
種別 | 河川 |
所在地 | 東京都中央区・江東区・台東区・墨田区・荒川区・足立区・北区 埼玉県川口市 |
延長 | 23.5km |
管理者 | 東京都 |