繊維業

Textile

肥沃で温暖な濃尾平野と木曽三川の豊かな水の恩恵が、中部地方の繊維業を発展させた。

江戸時代、綿花が尾張地域の島畑地帯や知多半島で盛んに栽培され、それを加工した知多木綿や三河木綿が広く知られた。しかし、明治24年に発生した濃尾大地震の影響や安価なインド綿の輸入等で綿織物は次第に衰退し、尾州地方の織物は毛織物へ転換していった。その後繊維業は、日清戦争、太平洋戦争、朝鮮戦争等を背景に幾度の好不況を繰り返した。過去最高の生産額となった昭和62年頃には、尾州地方は「毛織物王国」と呼ばれるまでに発展した。