国産飛行機の
中部地域と飛行機の重要な関係の一つとして、国産飛行機の製造が挙げられる。 1940年に正式採用された零式艦上戦闘機の内、三菱重工業株式会社で開発・製造されたものには、主構造材として「超々ジュラルミン」が採用された。これは名古屋軽合金製造所(現株式会社UACJ)において製造されたアルミ合金の一種であり、アルミ合金は後のYS‐11旅客機(1962年初飛行)にも採用され、さらには現在,三菱航空機株式会社で製造が進められている三菱スペースジェットの主構造材としても用いられている。アルミ合金の生産には、豊富な電力や大きな港が必要とされるため、中部地方の資源を活かして名古屋港近傍に生産拠点が置かれたのではないかとの見方がある。
生産された零式艦上戦闘機(十二試艦上戦闘機)の試作機が初飛行した旧各務原陸軍飛行場は、現在では陸上自衛隊岐阜基地として運用されており、後に整備された名古屋飛行場や中部国際空港セントレアとともに、中部地域の空の輸送網を高密度化している。 以上の大規模プロジェクトにより蓄積された、精緻な材料・部品製造技術および各種インフラは、後の自動車・飛行機・ヘリコプター・ロケットなどの製造に活かされており、機械製造のメッカとしての中京工業地帯の礎となっている。
(写真提供: 三菱航空機株式会社)