コンクリートが無い時代、土木(普請)の材料は石と木であった。生活のために必要な水をまちに取り入れるために川の流れを塞きとめるために造られた堰もしかり。当然、洪水がくる度に堰は壊れて流された。江戸時代、高知で築堤や港湾整備など数々の土木(普請)事業を指揮した土佐藩家老、野中兼山も造っては洪水の度に流される堰にさぞ苦労したことだろう。兼山の偉業を伝える伝記の中に、とある老爺が兼山にこう言ったとある。『堰を造るときにやってはいけないのは水の流れに逆らうこと。長縄を両岸から張って川に浮かべたら縄は必ず流れに従う。その縄の形に沿って堰を造れば水の勢いを素直に受け止めて堰は壊れないはずじゃ。』兼山は言われた通りに堰を築き、その後、堰が壊れることは無かったという。曲線斜め堰の全体像を今なお見せてくれる唯一の堰が、四万十川水系後川の麻生堰である。その優美な形状は一見の価値ありである。(崎谷)
崎谷浩一郎:曲線斜め堰の設計原理,東京大学工学系研究科社会基盤学専攻景観研究室修士論文,2001.
種別 | 堰 |
所在地 | 高知県四万十市 |
構造形式 | 曲線斜め堰 |
規模 | 堰長163m 堰幅11m |
竣工 | 不詳 |
管理 | 国土交通省四国地方整備局 |
設計者 | 不詳(野中兼山との説あり) |