「チャパァーン」、「ボォォーー」。瀬戸内海の静かな夕暮れ時。海辺に汽笛がひびく。
瀬戸内海は東の大阪や神戸、西の関門をはじめとする貿易港や、瀬戸内工業地域の工業港がたちならぶ。大小様々な外航、内航船が日夜航行しており、さしずめ海の銀座といったところだろう。船舶往来の歴史はふるく、飛鳥時代には遣唐使をはじめ朝鮮や中国への使節が畿内から目的地に向かう際に利用する航路として、江戸時代には西廻り航路として多くの船が行き交ってきた。しかし、遠浅の海域が多い瀬戸内海では、航行する船舶にとって座礁の危険と隣合わせでもあった。とりわけ男木島北側の備讃瀬戸東航路はひとたび航路を外れるとすぐに浅瀬となるため、船舶の安全な航行を担保することが海運に携わる者たちの共通の願いであった。
江戸時代の終わりには、日本を有力な取引先とみて列強諸国が押し寄せたが、彼らもまた日本近海が大型船に対応していないことを知ると、船舶の安全な航行を強く要望し、日本の開国条約のなかに西洋式灯台を建設することを盛り込んだ。灯台建設事業は、当初はお雇い外国人の指導のもとに実施されたが、明治も中頃になると外国人技術者の手をはなれ、独り立ちした日本人技術者によって建設されるようになる。男木島灯台もまた日本人技術者の手で設計され、1895(明治28)年5月9日起工、同年12月10日に点灯された。石材には庵治石の名で知られる高松産の御影石が用いられた。庵治石は花崗岩の一種であるが、そのなかでも特に結晶が小さく、結合が緻密であり、水晶と同程度の硬度をもつ堅固な石材である。さらに、風化、変質にも強く、ふるくは京都男山の石清水八幡宮の再興、高松城築城や大阪城大改築に使われてきた。堅固な庵治石を用いた男木島灯台は、通常なされる外装塗装がされておらず、そのきめ細やかな地肌は、沈みゆく夕日に照れされると、湿り気を帯びた輝きをみせる。
そんな航路の流れを制御する<自律神経>に支えられ、瀬戸内海の人や物資は循環しているのである。(白柳)
白柳洋俊:男木島灯台 瀬戸内海の道しるべ,土木学会誌,Vol.102,No.7,2017.
土木学会編:日本の土木遺産 近代化を支えた技術を見に行く,講談社,2012.
種別 | 灯台 |
所在地 | 香川県高松市男木島 |
構造形式 | 石造(総御影石)灯台 |
規模 | 高さ14.1m |
竣工 | 明治28(1895)年 |
設計 | 逓信省 |
備考 | 平成15(2003)年選奨土木遺産 |