四国インフラ017 土釜橋

山村を支えた橋


近隣の村から物資が集まる町として栄えたつるぎ町貞光から、剣山に向かって12㎞ほど入った山深い雰囲気になるあたりに土釜橋はある。細かな斜材からなる複雑なレース状のアーチが特徴の赤い鋼上路アーチ橋で、周囲の荒々しい岩の峡谷との対比が印象的である。明治の中頃までこの橋の上流の村では、特産物である柿や椎茸は人の肩に乗せて運んでおり、そのため距離の短い峠越えのルートが主であった。木材は貞光川に流して運んだが、いかだの通らない峡谷のため1本ずつ流していた。明治中期になり、大八車や牛馬車の使える勾配の緩やかな道として川沿いの道が整備されるようになったが、岩盤を削りながらの難工事のため、明治21(1888)年の整備では幅員1~1.5mの道をつけるのがやっとで、人、馬、車もろとも谷へ転落する事故が毎年のようにおこっていた。明治35(1902)年、ようやく3~3.5mに拡幅され、安心して大八車や牛馬車を使える道が完成した。当時土釜橋は木橋であったが、時代が下り木材やその他の産物の輸送に自動車が使われるようになって、荷重に耐えられるよう昭和5(1930)年に鋼橋に架け替えられたのが、今の土釜橋である。剣山の村々の発展を支えた橋だと言えるだろう。(真田)

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参考文献

一宇村史編纂委員会:一宇村史,1972.

種別 道路橋
所在地 徳島県美馬郡つるぎ町
構造形式 2ヒンジ鋼ソリッドリブ上路アーチ橋
規模 橋長22.7m 幅員5.2m 径間長20.6m
竣工年 昭和5(1930)年
備考 平成19(2007)年度選奨土木遺産
土木学会選奨土木遺産
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