ノリタケの森

愛知県名古屋市

東海道本線の全通後、1896年に森村組が名古屋の東郊にあたった橦木町に東京、京都の絵付の専属工場を集めると、名古屋を中心とする上絵付業・加工問屋業がにわかに活発化し、日清戦争後には、瀬戸・東濃の素地供給地を後背地にもち、名古屋港まで水運の便のあった名古屋市東区周辺に陶磁器業が集積した。

 

名古屋を拠点とした輸出商社の森村組は自ら洋食器の製造開発することに取り組み、1903年に製法がようやく完成すると、翌年に「日本陶器合名会社」が創立、独立し、さらに国内外へのアクセス性の高い名古屋駅に近接する則武に、欧州から製陶機械や石炭窯を導入した煉瓦造りの大規模工場を建てた。

 

この地にちなんだ「ノリタケ」ブランドは、試行錯誤しながら純白の陶器を製作し、皇室、外務省、海軍、国際ホテルなどを顧客として売上げ、輸出に耐える強い食器を完成させると、折しも第一次世界大戦により欧州から輸入できなくなっていた米国から、ディナーセットの注文が殺到し、その後各国へ輸出を伸ばしていった。

 

 

参考:

森村グループ創始者 森村市左衛門 – man@bowまなぼう

名古屋陶業の歴史 – 名古屋陶磁器会館

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