ドボ鉄001機上より見た東京駅


絵はがき:東京駅(東京都千代田区)

 テレビやインターネットが無かった時代、絵葉書は画像情報を伝達する有力なメディアのひとつであった。そこには名所旧跡から人気俳優のポートレートに至るまで、ありとあらゆるコンテンツが取り上げられ、当時の世相や風景を今日に伝えている。中でも、鉄道をテーマにした絵葉書は、何らかの形で鉄道施設を取り上げたものが多く、昔日の鉄道の様子を知ることのできる貴重な歴史資料となっている。
 ここで紹介する「機上ヨリ見タル東京駅ノ盛観」と題した1枚は、当時としては珍しい空撮によって、東京駅構内の全景を的確にとらえている。手前に横たわる1914(大正3)年完成の東京駅本屋は、3階建のオリジナルの姿で、構内をはさんだ反対側の八重洲口には、外濠が水を湛えている。
 その外濠に架かる八重洲橋は、壮麗な丸の内口とは比べものにならないほど質素なたたずまいの八重洲口ヘと接続している。また、八重洲口の左手には、移転前の鉄道省本省と東京鉄道局の庁舎が並んでいる。裏手に広がる客車の留置線群は、のちに東海道新幹線のプラットホームの敷地として活用され、現在に至っている。
 東京駅は、東京名所を集めた絵葉書に必ず登場する素材として人気を集め、さまざまなアングルによるものが発行されたが、上空から俯瞰した構図は数少ない。絵葉書の正確な撮影時期は明らかでないが、周囲の建物などの状況から判断して、1932(昭和7)年頃の撮影ではないかと推定される。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2007年1月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

東京駅は何でこの場所にできたのですか?

A

 外濠(そとぼり)と大名屋敷の再開発ですね。江戸のインフラを東京に活かすためのポイントは、役目を終えた濠と大名屋敷の敷地をうまく利用することでした。東京駅も東京~新橋間は外濠沿いに赤煉瓦の高架橋を建設して、その北端に大名屋敷の跡地に東京駅を建てました。だから地名も「丸の内」と呼ばれています。
 正確には、丸の内あたりの大名屋敷の跡地には、いったん政府機関などの建物などが建ちますが、官庁集中計画などでほかの場所に移転してしまい、その跡地に東京駅が完成しました。
 現在の東京では、再開発のための敷地として工場や鉄道施設の跡地が利用されていますが、当時は不要となった大名屋敷の跡地が再開発のターゲットで、今でも都心でまとまった敷地を占有している施設は、だいたいが大名屋敷の跡地ですね。(小野田滋)


”東京駅”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

師匠、ようやく東京駅を見に行ってきました。

師匠

で、どうだった。

小鉄

いや、とにかく横に長い建物ですね。

師匠

南北の幅は335mあるからな。

小鉄

東京タワーと互角ですね。

師匠

その昔、東京市長をやった後藤新平という人物がいてね。

小鉄

名前は聞いたことがあります。

師匠

その後藤新平がアメリカに行った時に、アメリカ人から日本にはこんな高いビルは無いだろう、と自慢されたらしい。

小鉄

摩天楼でしょ。日本も今は高層ビルが建ってるけど、東京駅ができた頃はひとつも無かった。後藤さんも、さぞかし悔しかったでしょうね。

師匠

ところが、負けん気の強い後藤さんだ。東京駅を縦にしたら、こんな高いビルがアメリカにあるかって、反論したらしい。

小鉄

たしかにそうだ。

師匠

伝聞だから真偽のほどはわからないが、いかにも大風呂敷の後藤さんらしいエピソードだ。

小鉄

うちのアパートも、縦にしたら東京駅くらいの高さになりますよ。

師匠

だからどうした。まあ、うちのアパートはせいぜいそんなもんだろうけど。

小鉄

だから、それをもう一度縦にすれば、摩天楼くらいの高さになるんじゃないかと・・・

師匠

うちのアパートは、何度転がしたって高くはならんよ。家賃は別だが。

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