ドボ鉄010鉄筋コンクリート橋梁の造形

絵はがき:内房線・山生(やもめ)橋梁(千葉県鴨川市)


 わが国の鉄道における鉄筋コンクリート橋梁の歴史は、1907(明治40)年に完成した山陰本線・米子~安来間の島田川暗渠にさかのぼることができる。やがて1914(大正3)年には、鉄道院によって「鉄筋混凝土橋梁設計心得」という設計基準が制定され、鉄筋コンクリート橋梁が本格的に普及する契機となった。
 内房線・江見~太海間の海岸線に架かる延長164.8mの山生橋梁では、鋼桁の腐食が懸念されたため、支間30フィート(9.14m)の鉄筋コンクリート単T桁を16連にわたって架設することとし、当時としては最大の鉄筋コンクリート橋梁として、1924(大正13)年に完成した。桁は、中央部と支承部で桁高を変えることによって排水勾配を確保し、アスファルト含浸フェルトとモルタルを用いて防水工とした。設計は、鉄道省大臣官房研究所の柴田直光技手によって行われ、その概要はイギリスの「Concrete and Constructional Engineering」(「コンクリートと建設技術」)という専門誌に掲載された。
 「外房太海に架る海の鉄橋」と題した絵葉書は、山生橋梁のほぼ全景をとらえており、波打ち際に屹立する橋脚と、その上に水平に連なる単純桁が、鉄筋コンクリート構造らしいシンプルな造形を示している。コンクリート製の橋梁にもかかわらず、絵葉書のキャプションでは「鉄橋」「IRON BRIDGE」と称しているあたりはご愛嬌で、鉄桁が一般的であった当時としては、やむを得ない表現だろう。
山生橋梁は、約90年の歳月を経た現在も、この絵葉書とほとんど変わらぬ姿のままであり、過酷な自然条件に耐えて今も健在である。(小野田滋) (「日本鉄道施設協会誌」2008年04月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

鉄筋コンクリートの橋は、鉄の橋とどう違うんですか?

A

 鉄は重たいという先入観がありますが、強度特性に優れた材料なので、同じ規模の橋を造ろうとすると骨組みと薄板だけで済み、一般的には鉄筋コンクリートの橋よりも軽くできます。橋の規模や形式にもよりますが、鉄筋コンクリート橋梁は鉄の橋よりも数倍重くなってしまいます。ただ、鉄の橋は鋼材を腐食から保護するために塗膜を塗替えなければならないことや、潮風にあたると錆びやすいといった欠点があります。
 また、鉄道橋では鉄筋コンクリート橋にバラスト(道床砕石)を敷くことができるので、鉄の橋よりも列車が走る時の騒音が少なくなります(鉄の橋でもバラストを敷くことができる構造の橋もあります)。このため、鉄筋コンクリート橋梁は、騒音を抑える必要がある都市部の橋梁や高架橋にも適しています。
 鉄筋コンクリート橋は鉄の橋よりも重くなるので、橋脚や橋台などの基礎部分もそれに合わせて頑丈にしなければならず、工事のしやすさ、工事費、工期などを比較しながら、現場にふさわしい材料・構造を選択しています。(小野田滋)

Q

設計者の柴田直光さんって、どんな方ですか?

A

 柴田直光さんは、1898(明治31)年に岡山市で生まれて岡山県立工業学校(現在の県立岡山工業高校)を卒業して、鉄道院に入りました。工務局設計課、大臣官房研究所で橋梁の設計に携わり、帝国大学を卒業した技師の下で設計計算の助手として働き、山生橋梁の設計を任されました。
 柴田さんは、ノモグラムを使った図式解法の第一人者で、複雑な設計計算を簡便に解く方法を編み出して、『ノモグラムに依る鉄筋コンクリートの計算』(橋梁研究会・1931)、『橋台、石垣、橋脚、井筒の設計』(鉄道現業社・1952)、『基礎反力の解法』(鹿島建設技術研究所出版部・1959)など多くの著書を著しました。柴田さんの図式解法は、電卓やコンピュータが無かった時代に重宝され、戦前から戦後に至るまで長く現場で愛用されました。
 また、アマチュアマジシャンとしても活躍し、草創期から発展期に至る東京アマチュアマジシャンズクラブ(TAMC)を支えた一人で、『奇術種あかし』(理工図書・1951)、『カードファンニング』(力書房・1960)などの著書もあります。1933(昭和8)年に南満洲鉄道に移り、大連(のち奉天に移転)にあった鉄道総局施設局に勤務しました。戦後に引き揚げて鹿島建設に勤務し、のちに同社顧問となりました。1963(昭和38)年に他界しましたが、没後に同僚や趣味仲間によって『直光さん』(直光さん刊行委員会・1965)という追悼文集がまとめられました。(小野田滋)


”内房線・山生(やもめ)橋梁”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

師匠。「鉄筋こんぎど」って何のことですか?

師匠

おかしなことを言うやつだな。どれどれ……

小鉄

ほら、ここに「鉄筋こんぎど」って書いてありますよ。

師匠

ああ、これは「混凝土」と書いて「コンクリート」と読むんだ。

小鉄

ええっ!? 被っているのは「混」と「土」だけですよ。「クリー」はどこへ行っちゃったんですか?

師匠

前にも「拱」という字が「アーチ」という意味だと説明したことがあるが、それと同じようなものだ。

小鉄

じゃあ、元は中国語ですか?

師匠

中国語でも同じ漢字を使うが、「コンクリート」に「混凝土」という漢字をあてて翻訳したのは日本が先だったようだ。

小鉄

ってことは、中国が逆輸入したってことですか?

師匠

中国も日本も西洋の技術がもたらされた時に、ひとつひとつの専門用語に漢字を宛てていた。

小鉄

たとえば?

師匠

「レイルウェー」は「鉄道」または「鉄路」、「トンネル」は「隧道」などと訳したが、みんな江戸時代には無かった言葉だ。

小鉄

なぜ、中国の方が逆輸入したんですか?

師匠

日本の方が先に西洋技術を身につけてしまったんで、先に対訳ができた。その後、清国から留学生が日本に西洋技術を学びに来たんで、そうした人たちが帰国して広めたんだろうね。

小鉄

「コンクリート」は何で「混凝土」なんですか?

師匠

コンクリートはセメントと水と砂と砂利を混ぜ合わせて凝固させるから「混凝土」になったと言われておる。

小鉄

でも今は、こんな漢字を使いませんよね。

師匠

最近は外来語をそのままカタカナで表現することが多いから、わざわざ漢字に直さなくなってしまった。

小鉄

「混凝土」も説明されなきゃ、わからないですね。

師匠

古い文献にはよく出てくる言葉だから、覚えておくと良いぞ。

小鉄

うちの木造アパートも、そろそろ鉄筋混凝土に建て替えてくれませんか?

師匠

そんなことより、たまっている家賃を早く払っとくれ。

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