ドボ鉄019山の地下鉄

絵はがき:三信鉄道鳥瞰図(愛知県新城市~長野県飯田市)


 東海道本線の豊橋を起点として、中央本線の辰野までを結ぶ飯田線は、中央構造線にそった急峻な地形を克服して、1937(昭和12)年に全通した。路線は、豊川鉄道(豊橋~大海)、鳳来寺(ほうらいじ)鉄道(大海(おおみ)~三河川合)、三信鉄道(三河川合~天竜峡)、伊那電気鉄道(天竜峡~辰野)の4社の私鉄がそれぞれの区間を開業させ、1943(昭和18)年に国策によって国に買収されて、現在の飯田線となった。
 全延長195km(国鉄買収時)におよぶ電化路線は、当時の国内最長を誇り、特にその最難関であった三信鉄道の区間は、天竜川沿いにトンネルや橋梁を連続させて建設され、俗に「山の地下鉄」と称された。ちなみに、「三信」の社名は、旧国名の三河と信濃を結ぶ鉄道として名付けられたもので、鉄道省OBの稲垣兵太郎(1869~1943)が顧問として工事を指揮した。
 工事は1929(昭和4)年に開始されたが難航し、世界恐慌などの影響もあって、少しずつ開業を進めながら線路を延ばし、1937(昭和12)年8月20日に最後の区間となる大嵐(おおぞれ)~小和田(こわだ)間が開業して全通した。「三河と信州を結ぶ三信鉄道」と題された絵葉書には、天竜川に沿った三信鉄道の路線が鳥瞰図として描かれている。
 作者の金子常光は、鳥瞰図絵師として名高い吉田初三郎(1884~1955)の弟子として活躍し、鉄道を題材とした多くの鳥瞰図を描いたことで知られている。蛇行する天竜川と山裾に沿ってさかのぼる三信鉄道を描くことは、絵師にとっても腕の見せ所であったことが推察され、山岳路線としての飯田線の特徴を見事に描ききっていて興味深い。(小野田滋) (「日本鉄道施設協会誌」2014年3月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

三信鉄道は、どうして国に買収されてしまったのですか?

A

 1943(昭和18)年に買収されますが、戦時下の国策によって、はじめは鉄道敷設法と競合する私鉄が買収されました。その後、戦争の激化によって産業に関わる鉄道や、幹線鉄道を短絡する鉄道も買収の対象となりました。関東では青梅電気鉄道(現在の青梅線)、南武鉄道(現在の南武線)、鶴見臨港鉄道(現在の鶴見線)、関西では南海鉄道山手線(現在の阪和線)、播但鉄道(現在の加古川線)などが買収されて、国鉄線になりました。三信鉄道ではこのほかにも、飯田線の全通によって割高となってしまった運賃を是正するために、「四鉄道国営移管促進連合懇談会」が結成され、4私鉄の国有化を求める沿線住民の陳情もありました。(小野田滋)


”三信鉄道鳥瞰図”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

鳥瞰図を見ただけで、険しい地形だったことがよくわかりますね。

師匠

だいぶデフォルメされているが、険しい地形を見事に描いている。とにかく中央構造線にそっていたから、地形も地質も複雑で、天竜川も蛇行を繰り返していた。

小鉄

測量も大変だったでしょうね。

師匠

そこで活躍したのが、アイヌ人の川村カネト(「カ子ト」「兼登」とも)という人物だ。

小鉄

えっ、北海道からやってきたんですか?

師匠

もともと北海道の鉄道測量で活躍していた人だったが、山岳地の測量が得意だったので、1926(大正15)年に三信鉄道の工事に呼ばれたんだ。

小鉄

カネトさんは、どんな人だったんですか?

師匠

当時は差別されて苦労し、現場ではいろいろな妨害にも遭ったらしいが、そうした逆境に耐えて、すぐれた測量技術で自分の存在を周囲に認めさせたと言われている。『カネト-炎のアイヌ魂-』(ひくまの出版・1983)という本に詳しく書かれているぞ。

小鉄

さっそく読んでみます。

師匠

1933(昭和8)年に三信鉄道の測量が一段落して、樺太や朝鮮半島の鉄道測量でも活躍したが、戦後は引退して旭川に川村カ子トアイヌ記念館を建てて余生を送った。

小鉄

カネトさんのおかげで、飯田線が全通したんですね。

師匠

1960(昭和35)年には、長野県の飯田市に家族とともに招かれて、大歓迎を受けたそうだ。

小鉄

カネトさんの苦労が報われたんですね。

師匠

今も東三河地方では、カネトさんの功績を讃えて「カネト」という合唱劇が公演され続けている。

小鉄

旭川と飯田線が、意外なところでつながっているんですね。

建設概要1建設概要2飯田線天竜川橋梁
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