ドボ鉄031室戸台風の来襲

絵はがき:山陽本線・旭川橋梁(岡山市)


 1934(昭和9)年9月21日、高知県の室戸岬付近に上陸した台風は、四国、中国、近畿地方を襲い、最大瞬間風速60mを記録し、死者・行方不明者は約3000名を数えた。室戸台風と呼ばれたこの台風は、のちの枕崎台風(1945)、伊勢湾台風(1959)とともに昭和の3大台風と称され、鉄道にも甚大な被害を与えた。
 東海道本線草津~石山間の瀬田川橋梁では、通過中の上り急行第7列車が強風で脱線転覆して11名が死亡したほか、大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道奈良線)の今里~布施間でも強風にあおられた電車が横転する事故が発生した。
 また、台風の影響は進路ではなかった中国地方にも及び、中国山地に豪雨をもたらして山陰本線や伯備線では、橋梁や路盤の流失が相次ぎ、53連の橋桁を喪失した。山陽本線西大寺~岡山間の旭川橋梁は、流失こそ免れたものの、氾濫した濁流によって橋脚が傾斜し、線路は大きく「くの字」に曲がってしまった。「岡山市・山陽本線旭川鉄橋不通ノ惨状」と題した絵葉書には流木塊の集積によって橋脚が大きく傾斜した様子がおさめられた。
 災害復旧工事は、地元の鉄道省大阪鉄道局(当時、近畿地方、中国地方、四国地方の鉄道を管轄)の工務系職員はもとより、隣接する門司鉄道局、名古屋鉄道局からも応援の職員が派遣され、9月末には伯備線を除いてほぼ全線が復旧した。室戸台風の被害は、当時の記録でも「昭和九年九月二十一日の関西、中国地方に於ける風水害は、関東に於ける大正十二年九月一日の大震災にも比すべき一大参事であった。」(鉄道省工務局保線課編『最近国有鉄道災害記録』鉄道技術者新聞社・1936より)と記録された。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2018年6月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

橋脚を設計する時には、洪水の発生も考えて設計するんですか?

A

もちろんです。橋を計画する段階で、河川の流量や、地形条件、過去の災害の被害や洪水で水位がどこまで上昇したかなどを綿密に調査します。水の流れをなるべく阻害しないように、橋脚の間隔や、配置、水が流れやすい形状などを決め、河の流れに対してなるべく直角かつ最短距離で横断するような場所を選びます。河幅や河川敷が広い橋梁では、河川の流路の部分のみ橋脚の間隔を広げて、部分的にトラス橋などの大支間の橋梁を架けます。また、万一水が溢れた場合に備えて、溢れた水を逃がすための「避溢橋(ひいつきょう)」を河川の前後に設けることがあります。(小野田滋)


”旭川橋梁”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

橋脚が左側に傾いて、流木塊が右側に引っかかっているってことは、右側が上流側ですか?

師匠

その通りだ。

小鉄

ということは、左側の橋が下り線で、右側の橋が上り線ということですね?

師匠

どちらが古いか、わかるかな。

小鉄

右側が煉瓦で、左側がコンクリートだから、右側の上り線が古いってことですよね。

師匠

そうだ、よくわかったな。記録では、上り線の開業が1891(明治24)年、下り線が1922(大正11)年とされている。

小鉄

材料が煉瓦からコンクリートに代わるのは、いつ頃の時代なんですか?

師匠

条件によりけりだが、鉄筋コンクリート構造は明治時代の末に使われはじめて、煉瓦は大正時代の末には使われなくなるので、大正時代がひとつの目安だな。

小鉄

旭川橋梁の架設時期とも合いますね。

師匠

煉瓦や石積みの構造物はだいたい明治時代から大正時代、コンクリート構造物はだいたい大正時代から現在と覚えておくとよいぞ。

小鉄

写真を見ているだけで、いろいろとわかりますね。

師匠

ボーッと見ているだけじゃダメだぞ。

絵はがき
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