トコショット節などの名でも知られる線路つき固め(搗固め)音頭は、「日本鉄道施設協会誌」の2009年10月号~2010年1月号の連載「線路の作業歌」でも詳しく紹介されたが、音頭を取りながら保線作業を行うための作業唄として歌い継がれ、全国へと広まった。その掛声は、地方によってさまざまなものがあり、連載にもあったように「コイトコショー」「コーイショー」「トコショットー」「ヨーイトコラサー」など数多くが全国に伝わっている。
そんな線路つき固め音頭が聞こえてきそうなこの絵葉書は、鉄道省名古屋鉄道局名古屋鉄道教習所で、保線の実習に励む職員たちをとらえたものである。「所内の実習場で」とあるように、教習所の敷地のどこかにあった実習用の線路で、ビータ(beater)を使って線路のつき固め作業の訓練を受けている場面である。
保線の作業服は袢纏(はんてん)姿が一般的であったが、1929(昭和4)年の服制改正によって軍服に準じた小倉服に改められた。しかし、小倉服は窮屈で作業がしにくいため評判が悪く、しばらくの間は昔ながらの袢纏姿が幅をきかせていたと伝えられる。写真はこの小倉服に制帽姿なので、おそらく昭和戦前の撮影と考えられ、アノラックやヘルメットが支給されるのは、戦後になってからであった。
今では保線の機械化が進んで、マルチプルタイタンパー(マルタイ)が活躍する時代となり、掛声も高らかに線路のつき固め作業を行う姿は、はるか昔の情景となってしまったが、保線作業の基本であることには変わりない。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2010年7月号掲載)
Q&A
鉄道教習所は、何をするところですか?
国鉄職員の部内教育のための教育機関で、のちに「鉄道学園」と呼ばれました。会社の研修所や研修センターにあたる組織で、各鉄道管理局ごとに設置されたほか、本社直轄の組織として中央鉄道教習所(のちの中央鉄道学園)がありました。入社後の国鉄職員の再教育やスキルアップなどを目的としていて、それぞれの専門分野の新人教育から中堅クラスの再教育、幹部の研修、専門技術者の養成・訓練に至るまで幅広いカリキュラムを行っていました。教習所には宿泊施設や食堂、図書館、運動場、体育館などの設備が整えられ、遠隔地の職員のために通信教育も行われていました。名古屋鉄道局の名古屋鉄道教習所は、廃校となった名古屋清流女学校を買収して1919(大正8)年に設置され、のちに国鉄名古屋鉄道管理局の中部鉄道学園となりました。国鉄民営分割化によってJR東海に継承され、同社の社員研修センターとなりましたが、2011(平成23)年、静岡県三島市に総合研修センターが完成したため統合され、跡地は再開発されました。(小野田滋)
”名古屋鉄道教習所”番外編
師匠、ビータってこのツルハシみたいな道具のことですか?
ああ、ツルハシの一種だが、保線用に先端の形が少し変わっている。
ほんとだ。よく見ると片方の先が平らな形になっていますね。
その部分は「シマダ」と呼んでいる。ゲンコツのような形が日本髪の女性の「島田髷(しまだまげ)」に似ておる。
シマダを先に向けているってことは、ここで線路のどこかを叩くんですか?
線路そのものを叩くわけではない。まくらぎとまくらぎの間に振り下ろして、線路の下に敷いてある道床バラストと呼ばれる砕石をつき固めるんだ。
重労働ですね。
音頭取りが頭の上にビータを振りかざして音頭唄を唄うと、「コイトコショー」という掛声とともに一気にビータを振り下ろすんだ。これを20回くらい繰り返して、次のまくらぎへ移る。
一人でやるんですか?
写真でも写っているが、レールをはさんでその内側と外側に一人ずつ立つ。レールは左右2本だから、4人が横一列になって作業をするのが基本だ。
同じ作業を繰返すだけなら、僕でもできそうですよ。
何を言っておる。ただ力任せに振り下ろすだけではなく、腰の入れ方や腕さばきなどいろいろとコツがあって、訓練を受けて先輩に教わりながらようやく一人前になれる。
師匠も習ったんですか?
ああ、保線の基本作業だからな。訓練を受けないと大事なレールやまくらぎを思い切り叩いてしまって、大失敗することになる。
それで実習場で訓練してから、デビューするんですね。
今は、タイタンパーと呼ばれる手で操作する振動機械や、マルチプルタイタンパーという保線用の車両を使うから、ビータの活躍の場もほとんどなくなってしまった。
寂しいですね。
もう「線路つき固め音頭」を唄える人も少ないと思うが、鉄道のイベントなどで時々披露されることがある。
師匠も唄えますか?
「我らの鉄道~♪、コイトコショー」