ドボ鉄043師団の駅から動物園の駅へ

絵はがき:函館本線・旭川駅(北海道)


 人口約33万人の北海道旭川市は、札幌に次ぐ道内第2の人口を誇り、道央の中心地として、また函館本線、宗谷本線、石北本線、富良野線が集中する鉄道の要衝として繁栄している。かつて旭川には陸軍第七師団が置かれ、「北鎮」の名で北の護りを担った。この師団は、開拓使の屯田兵をルーツとしていたが、1896(明治29)年に陸軍に編入され、常設の第七師団として発足した。さらに、1898(明治31)年には、北海道官設鉄道の旭川駅が開業し、旭川は鉄道の要衝としても発展することとなった。
 「飛行機上ヨリ見タル旭川停車場附近」と題した絵葉書には、忠別川を背景として、その川べりに設置された旭川駅の全景が写っており、駅前には駅前広場が広がっている。当時これだけの面積の駅前広場を必要としたのは、軍隊輸送のためと考えられ、連隊単位で整列できる面積を確保したことが想像される。
 旭川駅は、2010(平成22)年10月に連続立体交差事業が完成し、新しい高架駅の使用を開始した。新駅は忠別川寄りにセットバックして設けられ、このため新たな駅前広場はさらに広くなった。
 かつて軍都として知られた旭川には、今も駐屯地(陸上自衛隊第2師団)が置かれているが、北海道の観光の要衝として、大雪山や富良野、層雲峡への玄関口としても知られている。また、旭山動物園やラーメンの街としても有名で、高架化の完成をきっかけとして、さらに発展することが期待される。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2011年1月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

連続立体交差事業と高架化工事は同じことですか?

A

同じではありません。連続立体交差事業(連立)は、ある区間を一度に立体交差化して、複数の踏切を無くす事業です。交差の工事方法は高架化する場合がほとんどなので、一般的には「連立=高架化」と理解されていますが、地下化で行われることもあります。北海道では1977(昭和52)年に、石北本線西北見~北見間で地下化による連立体交差事業が行われました。ちなみに、連立に対して、1箇所の踏切だけを無くす事業は、単独立交(単独立体交差事業)と呼んでいます。(小野田滋)


”函館本線・旭川駅”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

旭川駅って、いろんな路線が接続していますが、どんな順番だったんですか?

師匠

最初の旭川駅は、1898(明治31)年7月16日に、北海道官設鉄道上川線の駅として開業した。

小鉄

上川線って聞いたことありませんが。

師匠

当時の呼び名で、今の函館本線砂川(空地太)~旭川にあたる。

小鉄

昔の名前ってことですね。

師匠

その翌月の8月12日には、初代天塩線の旭川~永山間が開業した。今の宗谷本線の一部だ。

小鉄

早いですね。

師匠

さらに翌年の1899(明治32)年9月1日には十勝線の旭川~美瑛間も開業した。今の富良野線の一部だな。

小鉄

ってことは、わずか1年ほどで道央の要衝になったんですね。

師匠

それからもうひとつ。1922(大正11)年に新旭川~愛別間が開業した石北本線も、すべての列車が旭川駅まで乗り入れている。

小鉄

北海道新幹線も、札幌までの工事が始まっているから、旭川までもうひと息ですね。

師匠

いつになるか、わからんがな。

小鉄

師匠が元気なうちに開業してほしいですね。

師匠

こらっ。まだしばらくの間は元気だぞ。

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