ドボ鉄049移転した博多駅

絵はがき:鹿児島本線・博多駅(福岡県)


 九州の鉄道の要衝である博多駅は、周辺に繁華街が形成されて、いかにも開業以来その土地にあったかのようであるが、現在の場所に博多駅が移転したのは1963(昭和38)年に高架橋と駅ビルが完成してからのことであった。1889(明治22)年、九州鉄道により開設された旧博多駅は、現在の場所から約600m西北に離れた祇園のあたりに駅があり、その跡地の一角にある出来町公園には、「九州鉄道発祥の地」と書かれたモニュメントが建っている。
 旧博多駅は、構内が狭隘であったため、戦前から移転が検討されていたが、具体化するのは戦後になってからであった。そして、駅の移転と併せて、鉄道の高架化や周辺街路の区画整理、バスターミナルの建設、駅前地下道の整備などを目的とした博多駅地区土地区画整理事業が1958(昭和33)年にスタートし、高架化された新線は1963(昭和38)年12月1日に使用を開始して同時に博多駅も移転を行い、翌年5月には駅ビルが全館開業した。
 「モダン様式の粋を集成した西日本一の新駅」と題した移転当時の絵葉書には、水平連続窓の近代的な駅ビルがそびえ、駅前広場にはカラフルな国産車が並んでいる。まだ新幹線も具体化しておらず、地下鉄の工事も始まっていない時代であったが、ほぼ同時期に行われた交流電化や、気動車列車の普及などによって、九州の鉄道の近代化は着実に進みつつあった。また、駅ビルは、いわゆる「民衆駅」として建設され、地元の百貨店(博多井筒屋)が入居したほか、階上はホテル(ホテルニューハカタ)として利用された。
 博多駅はこの駅ビルを撤去して2011(平成23)年3月3日に現在の駅ビル「JR博多シティ」が完成し、その9日後には博多駅を起点とする九州新幹線が全線開業した。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2010年12月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

民衆駅って何のことですか?

A

民衆駅は、駅本屋(えきほんや/駅舎のこと)の建設を国鉄と地元自治体の共同で行い、商業施設を設けた駅のことで、1950(昭和25)年に完成した東海道本線の豊橋駅がその最初でした。九州でも、博多駅が完成する以前に、門司駅、小倉駅、八幡駅、西鹿児島駅が民衆駅として完成していました。今のJRの「駅ビル」の元祖にあたります。(小野田滋)


”博多駅”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

最初の博多駅の跡地には何か残っているんですか?

師匠

記念碑がある。「九州鉄道発祥の地」碑と「博多駅」(博多駅・上海駅友好駅締結記念)碑だ。

小鉄

師匠は行ったことがあるんですか?

師匠

ああ、博多駅から北西に歩いて数分ほどの出来町公園という場所にある。

小鉄

そこが最初の駅があった場所になるんですか?

師匠

そうだ。

小鉄

駅の建物は保存しなかったんですか?

師匠

当時は明治村などに保存する話もあったようだが、解体されてしまった。

小鉄

残念ですね。

師匠

だが、プラットホームの屋根を支えていた鉄柱が3本、住吉神社を経て博多駅ビル「JR博多シティ」の屋上に保存されている。

小鉄

ほかにもありますか?

師匠

柱と屋根の飾りが、博多駅の東南に歩いて20分くらいの日吉神社に「旧博多駅記念塔」として奉納されている。

小鉄

廃線跡も残ってますか?

師匠

もう何も残っておらんが、廃線跡をほぼ継承した道路は「こくてつ通り」と名付けられた。

小鉄

駅の建物は残らなかったけれど、痕跡はあちこちに残ってるってことですね。

師匠

粘り強く探せば必ず何かが見つかる。

小鉄

なんか、刑事ドラマの証拠探しみたいですね。

師匠

現場百回の精神だ。

小鉄

デカ長、任せてください。

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