ドボ鉄058アーチ天井の地下空間

絵はがき:大阪メトロ御堂筋線・心斎橋停留場(大阪府)


 大阪市の地下鉄は、わが国で2番目の地下鉄道として、また公営交通としてはわが国最初の地下鉄道として、1930(昭和5)年1月29日に起工式を行い、1933(昭和8)年5月20日、現在の御堂筋線の一部である梅田仮停留場~心斎橋停留場の延長2.958kmが開業した。工事は、着工とほぼ同時に発生した昭和恐慌の影響を受け、工期を延長したほか、失業救済事業として失業者を一定の割合で雇用しながら進められた。
 地下鉄の建設は、都市計画道路と一体化して行われることとなり、このため地方鉄道法ではなく、軌道法の適用を受けることとなった。この際に併設された道路が現在の御堂筋で、幅員6mにすぎなかった細い道を幅員44mの道路に拡幅し、大阪のキタとミナミを結ぶ新たな軸線を形成した。また、事業にあたっては、沿線の土地所有者から建設費の一部を負担してもらう受益者負担制度を導入し、画期的な試みとして注目された。
 施工は、開削工法を主体とし、堂島川の河底トンネルは仮締切り工を用いて、道路橋である大江橋、淀屋橋の架設に先だって構築された。また、停留場は、大断面のアーチ天井を用いて柱のない構造とし、開放的な地下空間を生み出した。「大阪市営高速電気軌道・心斎橋停留所」(軌道法で設立されたので「停留場」と称するのが正しい)と題した絵葉書には、特徴であるアーチ天井がモダンなデザインの照明とともにおさめられている。
 この計画を関一大阪市長の下で推進した土木技術者が清水凞(1877~1941)で、心斎橋停留場のコンコースの壁面には、清水を慕う有志によって顕彰のプレートが掲げられた。大不況の下で行われた御堂筋の拡幅と地下鉄の建設工事であったが、そうした逆境を克服し、大阪のシンボルとして後世に残るインフラを遺してくれた先人たちの努力に敬意を表したい。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2009年3月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

清水凞(しみず・ひろし)さんは、どんな方ですか?

A

 清水凞さんは、1877(明治10)年3月1日、現在の岐阜市で生まれ、1901(明治34)年7月に東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業しました。卒業後は北海道炭礦鉄道に入社し、志願兵として何度か兵役に就いたのち、1906(明治39)年に召集解除となって北海道炭礦鉄道に復職しました。同社が国有化されたため、北海道鉄道作業局派出所兼工務部岩見沢保線事務所勤務となり、1907(明治40)年4月に帝国鉄道庁技師となって北海道帝国鉄道管理局岩見沢保線事務所に勤務しましたが、同年5月には退官して大阪市電気鉄道課建設係技師に迎えられました。大阪市では、市電網の整備に従事したのち、1919(大正8)年には関一副市長(のち七代目大阪市長)のもとで電気鉄道部技師長に就任しました。そして、1921(大正10)年に欧米各国に派遣されて都市交通や地下鉄の調査にあたり、帰国後に高速鉄道課課長に就任しました。その後、電気局工務部長、電気局技術部長、臨時高速鉄道建設部長として地下鉄の実現にあたり、大阪市高速電気軌道第1号線(現在の御堂筋線)の梅田(仮)~心斎橋間を1933(昭和8)年に開業させました。しかし、1935(昭和10)年に関一市長が現職のまま急死すると電気局の行政整理が断行され、同年5月に技術部は廃止されて電気局顧間に退きました。1936(昭和11)年には電気局有志によって、「清水熙君之像」が制作されましたが、1941(昭和16)年1月25日に逝去しました。「清水熙君之像」のレリーフは、心斎橋停留場のコンコースで、今も大阪の地下鉄の将来を見守り続けています。(小野田滋)

※顕彰プレートを含め一般には「熙」の文字が用いられているが、自筆と思われる履歴書では「凞」を用いる(そのほか文献により複数の異体字が混用される)。


”心斎橋停留場(大阪府)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

御堂筋線の駅は、広々としていますね。

師匠

大きなアーチ天井を採用して、柱の無いプラットホームを実現したからな。

小鉄

たしかに、ホームに柱が建っていると邪魔ですよね。

師匠

地下駅は、地盤の重さを支えなければならないから、特に太い柱が必要になり、柱の間隔も狭くなりがちだ。

小鉄

アーチの天井も高くて、開放的ですね。

師匠

照明も豪華で、地下鉄で初めてエスカレータを採用したから、開業した頃は「白亜の殿堂」と呼ばれて話題を集めた。

小鉄

プラットホームは、ホームの両側に線路がある島式ですね。

師匠

ほう、よく知ってるな。

小鉄

線路の両側にホームがあるのが、相対式ですよね。

師匠

なぜ島式にしたかわかるか?

小鉄

慌て者が行き先を間違えても、ホームを移らずに乗り換えできるからですか?

師匠

お前さんのような慌て者のために、わざわざ島式を採用たわけではない。島式は上下線のホームを1面だけで済ませることができるから、駅の幅を節約できる。

小鉄

効率が良くて、建設費も安くなるということですか?

師匠

ところが、ホームの上に改札階(コンコース階)を設けなければならないことや、駅の前後の侵入部分の線路に曲線を設けなければならないから、必ずしも建設費が安くなるとは限らない。

小鉄

それでコンコース階の高さに合わせたアーチ天井ができたんですね。

師匠

エスカレータや階段も、必然的にホームの端に配置されることになる。

小鉄

なるほど。駅の構造を読み解くといろいろなことがわかってきますね。

師匠

特に地下駅は、一度造ってしまうと増改築が容易ではないから、設計も慎重に行わなければならない。

小鉄

うちのアパートも、せめて玄関を大きなアーチ天井に改装して、ゴージャスにしましょうよ。

師匠

玄関の真上がお前さんの部屋だから、それを無くせばできんこともないぞ。

計画概要清水凞関係1清水凞関係2
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