ドボ鉄070阪神大水害と鉄道

絵はがき:東海道本線・宇治川架道橋(神戸市)


 1938(昭和13)年7月3日から5日にかけて、近畿地方一帯を襲った集中豪雨は、この地域に未曽有の被害をもたらし、のちに阪神大水害と称した。ことに六甲山系を背にした神戸市では、市内の河川がことごとく氾濫し、土石流によって家屋が流出、損壊したほか、交通機関が各所で寸断された。被害は、兵庫県下だけでも死者731人、負傷者1,463人、全壊または流出家屋5,492戸、床上浸水39,021戸、床下浸水100,423戸にのぼり、県下の豪雨災害としては史上最悪の事態となった。
 「瀧道高架線附近及阪神地下鉄の排水作業」と題した絵葉書には、被災直後の東海道本線元町~神戸間の宇治川架道橋と、阪神電鉄三宮駅(地下駅)の排水作業の様子がおさめられている。高架橋の下には、押し寄せてきた瓦礫が人の背丈よりも高く堆積し、被害の大きさを生々しく伝えている。
 この阪神大水害の様子は、谷崎潤一郎の小説『細雪(ささめゆき)』にも登場し、登場人物の一人である貞之助が妻の末妹である妙子の安否を気遣って、東海道本線の線路伝いに迎えに行く場面として描かれている。このため「細雪水害」とも呼ばれることもあり、この災害をきっかけとして、六甲山系の砂防工事や河川改修工事が行われて現在に至っている。 (小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2008年6月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

『細雪』では、どのように描かれているんですか?

A

文中にもありますが、登場人物のひとりの貞之助が義妹の安否を気遣って、濁流の中を東海道本線の線路伝いに迎えに行く場面として描かれます。貞之助は、芦屋川付近にあったと想定される自宅を出発し、奔流を避けて盛土の上の線路に登りますが、摂津本山駅と住吉駅の間で濁流が襲いかかり、立ち往生していた急行列車の車内へひとまず避難します。当時の記録や、三等車に避難して三等寝台車へ移動したとする記述などから、摂津本山~住吉間で立ち往生した東京発・神戸行の下り急行・第15列車に避難したと推定されています。谷崎はこの場面について、のちに「私の家は完全に助かったが、私の見てゐる所にどんどん流れて来たので強く印象に残ってゐた。それだけでは材料が心もとないので、私の娘が行ってゐた小学校が流されて、その時遭難した生徒の作文があった。それが大分参考になった。」(谷埼潤一郎「『細雪』に就いて」別冊文藝春秋,No.53,1956より)と述懐しました。当時の谷崎は、住吉村反高林(現在の神戸市東灘区住吉東町一丁目)にあった倚松庵(いしょうあん)で、源氏物語の現代語訳に取組んでいました。(小野田滋)


”東海道本線・宇治川架道橋(神戸市)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

この絵葉書が宇治川架道橋だって、どうしてわかるんですか?

師匠

絵葉書のキャプションには「瀧道附近」とあるが、「瀧道」は今のフラワーロードのことだ。

小鉄

ってことは、JRの三ノ宮駅と阪急の神戸三宮駅の間の通りですか?

師匠

ところが、その付近の高架橋はこんなにカーブしていないから、明らかに違う場所だ。

小鉄

師匠、何かヒントをお願いします。

師匠

ヒントはラーメンだ。

小鉄

えっ、ラーメン屋なんて、どこにも写ってませんよ。

師匠

何を言っておる。トボ鉄で「ラーメン」と言ったら、ラーメン構造のことだ。

小鉄

ボケただけですよ。でもこの写真のどこがラーメン構造ですか 

師匠

真ん中あたりをよく見るんだ。

小鉄

わかった!この橋脚が門型ラーメンってやつじゃないですか?

師匠

お前さんも門型ラーメンを見分けられるようになったか。

小鉄

門のような形をしてるから、僕でも分かりますよ。

師匠

当時は、鋼製の門型橋脚は珍しかったから、その場所を探せばいいことになる。あと、門型の橋脚は2基建っているから、3径間の鋼桁で構成される架道橋だと推定できる。

小鉄

つまり、高架橋がカーブしていて、門型の橋脚が建っていて、3径間で構成されている架道橋を探せばいいんですね。

師匠

いよいよ絞られてきたな。

小鉄

神戸まで交通費を出してくれたら、調べに行きますよ。

師匠

ストリートビューで探せば、行かなくても調べられるぞ。

小鉄

師匠もケチですね。

師匠

文明の利器は最大限に活用せんとな。

小鉄

あっ、元町駅と神戸駅の間のここですね。門型ラーメンの橋脚がはっきり写ってますよ。

師匠

瀧道からはだいぶ離れているが、とにかく神戸が水害で大変な状況になっていることを伝える絵葉書だから、正確な場所は二の次だったんだろう。

小鉄

でも、水害の状況なんて、絵葉書でわざわざ送るような内容じゃないでしょ。もらった人も迷惑ですよ。

師匠

何を言っておる。テレビもネットもない時代の絵葉書は、画像情報を伝えるための重要な手段だった。特に災害の様子を見たら、支援活動が広がる効果もある。

小鉄

たしかに、写真を見ると大きな災害だったことがよくわかりますね。

師匠

だから、当時の絵葉書は災害や事件の様子もさかんに扱っていた。

小鉄

絵葉書は名所やきれいな風景ばかりじゃないんですね。

師匠

今ではそうなってしまったが、昔の絵葉書は当時の世相がわかる題材が豊富だ。

小鉄

たった1枚の絵葉書でも、よく見るといろいろなことがわかるんですね。

水害記録写真水害対策調査報告復興計画
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