徳島市は多数の川に囲まれた水都である。徳島城の堀でもあった助任川や寺島川は、かつて城の防衛や物資の運搬ルートとして重要な役割を果たしていた。新町川両岸には、吉野川を下って、まちなかに運ばれてきた藍を保管するための藍蔵が軒を連ね、川舟が行き交っていた。寺島(武家屋敷)と新町(下町)を結ぶ新町橋は江戸時代から交通の要所で、明治13(1880)年には徳島県で初めての鉄橋が架けられた。昭和時代になると新町川南岸は徳島一の商業地として発展。かつて、7月25日の天神祭の日には新町川で花火が打上げられ、新町川の水際は祭り船と見物客で埋め尽くされていたようだ。
新町川の河口、富田港で川舟から荷を積み替えた大型船は紀伊水道に乗り出し、全国の都市や港とつながっていた。全国にその名を馳せた阿波藍も、各地の売り場を自由に結ぶ海上交通の発達によるところが大きく、阿波藍の繁栄を支えていた水運、川のネットワークは、かつての<心臓>であったと言えるだろう。しかし水運は次第に主役の座を陸運に明け渡すようになる。
寺島川は、版籍奉還後、城から藩庁舎、後に県庁舎に<左脳>機能が移転したことや、河川の水運機能の低下に伴い昭和40年代に埋立てられた。埋立地には元々川沿いを走っていた線路が移設され、まさに水運から陸運への近代化を象徴しているとも言えるだろう。
現在、川で囲まれた徳島市の中心部はひょうたん島と呼ばれ、かつての<心臓>を周遊する「ひょうたん島クルーズ」は徳島の川の風景としてまちに溶け込んでいる。発着場の対岸には平成8(1996)年に「しんまちボードウォーク」が整備され、近年、徳島産の農産物や加工品を販売する「とくしまマルシェ」等のイベントが活発化。かつて、たくさんの物資を送り出していた<心臓>は、現在、人と物の交流を生み出す起点となっている。(板東)
参考文献
徳島県立文書館編:第32回企画展 徳島近代交通史 -船から鉄道へ-,徳島県立文書館,2006.
まち再生事例データベース「事例番号123 川を活かしたまち再生(徳島県徳島市・新町地区)」,http://www.mlit.go.jp/crd/city/mint/htm_doc/pdf/123tokushima.pdf
種別 | 河川 |
所在地 | 徳島県徳島市 |