四国インフラ030 浦戸湾

広大な水面の記憶


高知市の中心市街地に面した浦戸湾は、国分川や鏡川など、いくつもの川筋を束ね、大きな水瓶のようにふくらみつつ、急激に細くS字に湾曲して太平洋へと注ぐ。太平洋へ出たところには、坂本龍馬が愛したと言われる桂浜がある。見渡す限り水平線が広がる清々とした砂浜だ。そのすぐ北の丘陵は、かつて長宗我部氏が居城とした浦戸城のあった場所。この丘陵が太平洋からの強風を防いでくれるため、浦戸湾内のS字に湾曲したあたりは古くから天然の良港があった。浦戸港と呼ばれるこの港は、古代律令制の下、庸調を搬出する基地であったいうので、相当に古い港だ。

紀貫之の「土佐日記」には、承平4(934)年、大津から舟を出し、浦戸を廻って外洋へ出たと書かれている。この大津、現在は国分川の河口から数キロ内陸にある。つまり、平安時代にはそのあたりまで海であったということだ。かつての浦戸湾の水面は、現在のそれよりもはるかに広かったのである。海水面の低下もあろうが、長宗我部氏の時代では約600町歩(約6㎢)、山内氏の時代では約800町歩(約8㎢)もの塩田開発が行われたとあり、きわめて広い。近代以降も埋め立ては進み、特に高度成長期には東側に大規模な工業用地が造成され、昭和45(1970)年の台風による高潮被害を契機として埋め立てについて多くの議論を呼んだ。

浦戸湾は、その恵まれた自然条件のおかげで古くから重要な港を擁してきた。一方で格好の埋め立て対象でもあり、湾全体は水面を大きく減ずる方向の土木事業の集積によって整形されてきた。市内の広大な低平地のところどころに突き出る高さ数mの小さな岩山は、かつて海面から突き出た岩場であったのだろう。高知平野には、昔日の浦戸湾の広大な水面の記憶が残る。(尾崎)

(赤色立体地図:アジア航測株式会社 国土地理院承認番号 平28情使第1285号 / 航空写真:Google Earth)

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参考文献

松野尾章行原著・平尾道雄編:皆山集,高知県立図書館,1973-1978.

種別 湾・埋め立て地
所在地 高知県高知市
規模 面積7㎢
管理 高知県
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