上有知湊
岐阜県美濃市
江戸時代初期に、金森長近(1524-1608)によって物資運送の玄関口として湊が築かれた。当時は番船40艘をおき、長良川下流への美濃和紙や生糸、酒ほかの輸送基地として、また、上流から運ばれる木材運搬の中継基地として、舟運の拠点となった。
「六斎市」(月6度の市)が開かれるなど、江戸時代から明治時代末年まで、この地方の物資の流通、交通の中心として繁昌したが、1911(明治44)年に美濃と岐阜を結ぶ電気軌道が開通、さらに1923(大正12)年に美濃太田と郡上を結ぶ越美南線が開通すると、輸送拠点としての役割を終えることとなった。高さ9メートルの灯台と舟着場への石段、住吉神社、石灯籠などが、昔を物語る姿をとどめている。岐阜県の指定文化財。