ドボ鉄002生駒山を貫く

絵はがき:近鉄奈良線旧生駒トンネル(大阪府東大阪市)


 大阪と奈良を結ぶ近畿日本鉄道奈良線の歴史は、1910(明治43)年に設立された大阪電気軌道(通称「大軌(だいき)」)にさかのぼることができる。大阪電気軌道は、大阪と奈良を最短距離で結ぶため、生駒山を貫く延長3,388mの生駒トンネルを建設したが、これは当時、山梨県にある中央本線の笹子トンネル(延長4,656m)に次ぐ長さで、複線断面のトンネルとしては日本最長であった。
 生駒トンネルの工事は1911(明治44)年6月に開始されたが、1913(大正2)年1月に発生した崩壊事故で19名の犠牲者を出し、会社そのものの存続が危ぶまれる事態にまで追い込まれてしまった。しかし、関係者の懸命な努力が実ってこの窮地を脱し、1914(大正3)年4月30日にようやく開通した。
 「生駒山隧道西口(起工当時)」と題した絵葉書には、今や古いトンネルの専門書でしか目にすることのできない枝梁式の木製支保工が写っており、周囲の岩盤を力強く支えている。生駒トンネルでは当時の標準工法であった日本式掘削を採用したが、写真ではすでに土平(どべら)を除いて掘削が完了しており、ずり運搬の軌道も上半と下半に分かれて敷設されている様子が理解できる。
 生駒トンネルは、掘削断面積を最小限に抑えたため、幅2.5mの小型車両しか通過できなかったが、1964(昭和39)年には大型車両でも通過できる新生駒トンネル(延長3,494m)が完成し、半世紀にわたる使用に終止符を打った。廃止後は、レールなどを撤去して旧トンネルは保守管理用の施設として再利用されており、大阪側の坑口付近に残る旧孔舎衛坂(くさえざか)停留場のプラットホーム跡とともに、往時の面影を今に伝えている。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2007年5月号掲載)

 

この物件へいく


Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

「日本式掘削」って何ですか?

A

 当時のトンネル技術では、トンネルの断面を一度に掘ることは難しかったので、小さい断面に分割して掘りました。掘削も人力作業なので、だいたい作業員が数人入れる程度の断面積で、分割して掘った小さな断面のトンネル(導坑)をつなげながら、大きな断面のトンネルを完成させます。
 「日本式掘削」はその掘る順番の一種で、上(頂設導坑)から階段状に下へ掘る方法で、日本で発明されたわけではなく、日本でのトンネル工事で標準的に使われたので、日本ではそう呼ばれているだけです。このほかにも、オーストリア式、ベルギー式、ドイツ式、イギリス式などの種類があります。(小野田滋)


”生駒トンネル”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

師匠、この“つちへい”って、どなたの名前ですか。

師匠

ああ、それは“土平”と書いて“どべら”って読むんだよ。

小鉄

なんか現場っぽい言葉で、かっこいいですね。

師匠

“どびら”とも言うがね。お前さんの言うように、現場言葉のひとつだ。

小鉄

土を平らにするってことは、地ならしかなんかのことですかね。

師匠

まあ近いが、トンネルを掘る時に小さな断面に分割して掘るんだが、その“部位”のひとつだよ。

小鉄

“部位”ってことは“カシラ”とか“カルビ”とか“ザブトン”とか・・・

師匠

それは焼肉だ。でもそれと同じだ。“土平”はトンネルの下半部の左右の側壁部分を示す言葉だ。“土平を返す”と言うが、日本式掘削では、土平を掘って全部の掘削作業が終了する。

小鉄

“つちへい”さんをひっくり返す訳じゃないんですね。

師匠

そりゃそうだ。

小鉄

たまってる家賃も土平で返せませんかね。

建設概要
Back To Top