1884(明治17)年に阪堺鉄道として呱々の声をあげた現在の南海電気鉄道は、同年12月に難波~大和川間を開業させ、1888(明治21)年に堺まで延伸した。堺以南は、その後設立された南海鉄道によって敷設され、1897(明治30)年10月に堺~泉佐野間が開通し、翌年には阪堺鉄道を吸収して紀ノ川の北岸の和歌山北口までが開業した。紀ノ川の架橋は、多大な工事費と工期を必要としたが、1903(明治36)年にようやく完成し、同年3月21日に難波と和歌山市の間が結ばれた。「南海鉄道紀ノ川鉄橋」と題した絵葉書には、終着駅の和歌山市をめざして紀ノ川橋梁を渡る下り列車が写っているが、この路線は1911(明治44)年に電化されたため、それ以前に撮影されたものと推定される。
その後、1922(大正11)年の複線化で上流側に平行して下り線の橋梁を架設し、現在に至っている。中央に写る3連のトラス橋は、アメリカンブリッジ社で製作された支間204フィート(62.1m)の下路プラットトラスで、アイバーを用いたアメリカ流のピン結合を特徴とした。ちなみに、このトラス橋は、1900(明治33)年に完成した紀和鉄道(現在のJR和歌山線)の紀ノ川橋梁(1930(昭和5)年架換え)と同一図面を用いたとされる。
走る列車は蒸気機関車から電車に代わったが、適切な保守管理によって紀ノ川橋梁はその下部構造とともにほぼ開業時のままで、紀ノ川の流れと和泉山脈の山なみとともにその雄姿は健在である。(小野田滋)
(「日本鉄道施設協会誌」2008年1月号掲載)
Q&A
支間(しかん)は橋の長さのことですか?
橋の長さを表す寸法のひとつですが、厳密には橋の最大長さと同じではありません。橋は一般的に支点の上に載っているので、支点と支点の長さに基づいて設計計算をします。この支点と支点の間隔を支間長と呼んでいますが、略して支間○○mなどと表します。つまり、支間長は橋の基本寸法を表していますが、実際の橋では支間の外に橋の端部が位置することになるため、橋の最大長さは支間長よりも少しだけ長くなります。しかし、大きい橋でもせいぜい数10cmの違いなので、橋の長さを表す寸法としては、橋の最大寸法よりも支間長がよく使われています。(小野田滋)
”紀ノ川橋梁”番外編
今回の絵はがきは、「1回乗っても南海電車」ですね!
ほう、関西ではそう言うのか。関東では「早稲田が乗っても京王電車」と言うがね。
でも師匠、この絵はがき、蒸気関車が走ってますよ。南海「電車」なのに。
ああ、南海が開業した頃は蒸気機関車だったんだ。だから会社名も「南海鉄道」だった。
じゃあ、後から電化したってことですか?
そうだよ。1905(明治38)年に東京の甲武鉄道の電化を完成させたばかりの市来崎佐一郎という電気技師を南海に招聘して、1911(明治44)年に電化したんだ。
その時から「南海電車」ってことですか?
「南海電車」はあくまでも通称で、正式な会社名はしばらく「南海鉄道」のままだった。1947(昭和22)年に今の「南海電気鉄道」に変わった。
じゃあ、会社の名前が「何回」も変わったわけじゃないんですね。