北海道のほぼ中央に位置する標高2,077mの十勝岳は、活火山としてしばしば噴火活動を繰り返していたが、1926(大正15)年5月24日の噴火は、山麓の富良野原野一帯で死者・行方不明者144名、損壊建物372棟という甚大な被害をもたらした。噴火そのものはそれほど大規模ではなかったが、前日からの豪雨と、噴火に伴う融雪とが重なって、泥流が美瑛川と富良野川を流下し、被害が拡大した。
噴火は、5月24日の11時20分頃より始まり、16時17分過ぎ(旭川測候所の観測記録)の大噴火とともに泥流が発生し、16時40分頃には火口から約25km離れた富良野原野に達した。鉄道では、富良野川を流下した泥流が富良野線・美馬牛~上富良野間の線路を襲い、線路延長約2.2kmが埋没または流失し、上富良野駅構内の施設を破壊して列車は運休となった。
三浦綾子の小説『泥流地帯』(1976)は、この災害を題材とした作品であるが、丘の上から見た被災地の惨状を「その中を走る鉄道線路が、枕木ごとめくれ上がって柵のようになっているのも無惨だった。」と描写した。「十勝岳硫黄山爆発ノ惨状」と題した絵葉書は、まさにその光景をとらえたもので、めくれ上がった軌框(ききょう:レールとまくらぎを組み合わせた梯子状のもの)が泥流のすさまじさを物語っている。
当時の記録によれば、夜半には保線区員などを乗せた救援列車が旭川駅を出発し、いち早く現場へ到着して復旧活動を開始したとされる。その結果、5月28日には運転が再開され、鉄道は被災地の生命線としてその機能を果たした。十勝岳は、その後もたびたび噴火したが、現在では過去の災害を教訓にハザードマップが整備され、地域の防災に役立てられている。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2009年6月号掲載)
Q&A
火山泥流は火砕流とは違うんですか?
火山泥流も火砕流も火山災害でよく使われる用語で、火口付近から山腹を流下した火山噴出物がそのふもとに被害をもたらすという点ではよく似ています。
火山泥流は、火山の噴火に伴って噴出した火砕物が、雪や氷河の融解水、降雨による流出水などと一体となって土石流のように高速で流下する災害です。高温ではありませんが、火山灰は水によって流動化しやすく、泥流が約百キロもの遠方に達する場合もあります。十勝岳は、融雪と降雨が重なって火山泥流が発生した例です。
これに対して火砕流は、高温の火山ガスと多量の火砕物(火山灰や軽石)が混然一体となって高速で流下する災害で、本体部の温度は摂氏600~700度ほどに達し、周囲に高温の熱風(火砕サージとも)をもたらします。日本では、1991(平成3)年の雲仙普賢岳(長崎県)の噴火で火砕流が発生して、43人の方が亡くなったことがあります。
どちらの災害も、噴火口から遠く離れた場所に被害をもたらし、高速(時速数十キロ~百キロ)で流下するという特徴があります。ちなみに、マグマが火口から液体のまま溶岩として流下する現象を、溶岩流と呼んでいます。(小野田滋)
”富良野線・美馬牛~上富良野”番外編
師匠、自然災害が登場する小説は、『泥流地帯』のほかにもあるんですか?
いくつかあるぞ。古くは谷崎潤一郎の『細雪』が有名だ。
どんな災害が登場するんですか?
1938(昭和13)年に発生した阪神大水害の様子が詳しく描かれている。東海道本線で立往生した列車の描写は鉄道マニア並みにリアルだぞ。
ほかには?
1959(昭和34)年の伊勢湾台風をとりあげた清水義範の『川のある街』がある。
「やっとかめ探偵団」の作家ですね。
火山災害では、新田次郎の『昭和新山』、白石一郎の『島原大変』、上前淳一郎の『複合大噴火』などがある。
『島原大変』は1991(平成3)年の普賢岳の噴火ですか?。
いや、1792(寛政4)年の江戸時代の大噴火だ。「島原大変肥後迷惑」と言われて、雲仙岳で発生した山体崩壊によって、対岸の肥後に津波が押し寄せて多くの死者が発生した。
十勝岳もそうですけれど、遠い場所で発生した災害が離れた場所で被害を起こす場合もあるんですね。
南米のチリで発生した地震が、日本に津波の被害を及ぼしたこともある。吉村昭が『海の壁』という作品でこの災害を取り上げているぞ。